- はじめに
- 壱、始計篇
- 1 兵は国の大事
- 2 五つの基本問題
- 3 七つの基本条件
- 4 仕える条件
- 5 基本と応用
- 6 兵は詭道なり
- 7 勝利の見通し
- 弐、作戦篇
- 1 戦争には莫大な費用がかかる
- 2 兵は拙速を聞く
- 3 智将は敵に食む
- 4 勝ってますます強くなる
- 参、謀攻篇
- 1 百戦百勝は、善の善なるものにあらず
- 2 上兵は謀を伐つ
- 3 戦わずして勝つ
- 4 勝算がなければ戦わない
- 5 君主の口出し
- 6 彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず
- 四、軍形篇
- 1 敵のくずれを待つ
- 2 攻めと守り
- 3 勝ち易きに勝つ
- 4 まず勝ちて後に戦う
- 5 勝兵は鎰(いつ)をもって銖(しゅ)を称(はか)るがごとし
- 伍、兵勢篇
- 1 軍の編成、指揮、奇正、虚実
- 2 戦いは奇をもって勝つ
- 3 奇正の変は、勝げて窮むべからず
- 4 激水の石を漂わすに至るは勢なり
- 5 利をもって動かし、卒をもって待つ
- 6 勢に求めて人に責めず
- 六、虚実篇
- 1 人を致して人に致されず
- 2 守らざる所を攻める
- 3 虚を衝く
- 4 十をもって一を攻める
- 5 戦いの地・戦いの日を知らざれば……
- 6 兵を形するの極は無形に至る
- 7 実を避けて虚を撃つ
- 七、軍争篇
- 1 迂をもって直となす
- 2 百里にして利を争えば……
- 3 兵は詐を以って立つ
- 4 疾きこと風のごとし
- 5 衆を用いるの法
- 6 気、心、力、変
- 7 窮寇には迫ることなかれ
- 八 九変篇
- 1 君命に受けざる所あり
- 2 九変の術を知らざる者は……
- 3 智者の慮は必ず利害に雑う
- 4 吾の以って待つ有ることを恃む
- 5 必死は殺され、必生は虜にさる
- 九、行軍篇
- 1 地形に応じた四つの戦法
- 2 軍は高きを好みて下きを悪む
- 3 近づいてはならぬ地形
- 4 近くして静かなるはその険を恃む
- 5 辞卑くして備えを益すは進なり
- 6 利を見て進まざるは労るるなり
- 7 しばしば賞するは窘しむなり
- 8 兵は多きを益とするにあらず
- 拾、地形篇
- 1 六種類の地形
- 2 敗北を招く六つの状態
- 3 地形は兵の助けなり
- 4 卒を視ること嬰児のごとし
- 5 兵を知る者は動いて迷わず
- 拾壱、九地篇
- 1 戦場の性格に応じた戦い
- 2 先ずその愛する所を奪え
- 3 敵領内での作戦
- 4 呉越同舟
- 5 人をして慮ることを得ざらしむ
- 6 情況に応じた戦い方
- 7 死地に陥れて然る後に生く
- 8 始めは処女のごとく、後には脱兎のごとし
- 拾弐、火攻篇
- 1 火攻めのねらい
- 2 臨機応変の運用
- 3 火攻めと水攻め
- 4 利に合して動き、利に合せずして止む
- 拾参、用間篇
- 1 敵の情を知らざる者は不仁の至りなり
- 2 五種類の間者
- 3 事は間より密なるはなし
- 4 反間は厚くせざるべからず
- 5 上智をもって間となす
はじめに
仕事の悩み、職場の悩み、職場での争いに勝ち、生き抜くためのヒントを実体験に基づいて紹介しています。これらを使わずにすむことが最善なのですが、やむを得ない状況に追い込まれるときに参考にしてください。
ただし、勝つこと、生き抜くことを主眼に置いていますので、平和的解決をするためには、ここからツボを抑えたうえでの応用が必要になります。
各項目の【仕事・職場で】以下を参考にしてみてください。
その前段に、孫子兵法の訳文を置きますが、余力があれば見ておくと、より理解が深まると思います。
日本では、日常で戦争をするわけではありません。
そこで、日常生活…とくに重職にない人、使われる側の人の、仕事や職場における行動や思考、人間関係における対抗手段のヒントになれば幸いです。
詳しい注釈や、学術的なことは記述していません。
学問を深めるためではないので、必要な個所のみを拾い、必要な場面に用いてください。
できれば、事が起こる前に知っておくことが望ましいです。
このまま利用して消化していっても良いですし、すぐに応用しても良いです。
大切なのは「自分のもの」にすることです。
知っていることと、用いることができることは、まったく違うのです。
壱、始計篇
1 兵は国の大事
孫子曰く、兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず。
争いは重大事であって、生死・存亡がかかっている。だから細心の検討をしなければならない。
【仕事・職場で】
物事を始める前に、その物事・方法が本当に自分にとって有益・最良がどうかを検討しなければならない。
しないですむなら、無理をしてまでしない。
★就職・転職、異動・担当を申し出る前に、よく検討を重ねる。
★上司・部下、同僚・後輩と争いごとや論戦を始める前に、よく検討を重ねる。
★新しい業務を任されたとき、慣例を踏襲するか否か、よく検討を重ねる。
2 五つの基本問題
故に、これをはかるに五事をもってし、これをくらぶるに計をもっていして、その情をもとむ。一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法、。道とは、民をして上と意を同じくせしむるなり。故にもってこれと生くべくこれと死すべくして、危うきを畏れず。天とは、陰陽、寒暑、時制なり。地とは、遠近、険易、広狭、死生なり。将とは、智、信、仁、勇、厳なり。法とは、曲制、官道、主用なり。およそこの五者は、将、聞かざることなきも、これを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
まず、五つの基本問題をもって戦力を検討し、ついで、七つの基本条件(次の項)をあてはめて彼我の優劣を判断する。
五つの基本問題とは、「道」「天」「地」「将」「法」にほかならない。
「道」とは、国民と君主を一心同体にさせるものである。これがありさえすれば、国民は、いかなる危険も恐れず、君主と生死をともにする。
「天」とは、昼夜、晴雨、寒暑、季節などの時間的条件を指している。
「地」とは、行程の間隔、地勢の険阻、地域の広さ、地形の有利不利などの地理的条件を指している。
「将」とは、智謀、信義、慈愛、勇気、威厳など将帥の器量にかかわる問題である。
「法」とは、軍の編成、職責分担、軍需物資の管理など、軍制に関する問題である。
この五つの基本問題は、将帥たるもの誰でも一応は心得ている。しかし、これを真に理解している者だけが勝利を収めるのだ。中途半端な理解では、勝利はおぼつかない。
【仕事・職場で】
ことを始める前に、まず五つの基本問題を検討する。
「道」…大義名分、道理、筋、整合性など、みんなが納得できる動機を持っているか。
「天」…タイミング、情勢、風土は良好か。
「地」…環境、部署やデスク配置、勤務地の立地など、物理的条件が良好か。
「将」…心技体・知識、経済力、人徳はどの程度か。チーム・派閥なら、それらが優れた人材はどれだけいるか。
「法」…自分だけの行動なら、事を始めたら最後までやり通せるかどうか。チーム・派閥間の行動なら、みんなで最後まで結束してやり通せる条件(遂行時の体力・精神力・経済力、達成時の利益の及ぶ範囲、それらを不要とする強制力)が整っているか。
★「道」は論破する基礎として欠かせない。自分になくて、相手にあると、最後に筋論を持ち出されて、ウヤムヤにされてしまう。
★「天」は非物理的条件。タイミングや運なので、自分で引き寄せる限界はある。タイミングが悪ければ、その時は事を起こさない選択も冷静に判断する。
★「地」は物理的条件。これは最低限なので、自分とって良好な状況にしたい。
★「将」は人的条件。できるだけ事前に、心技体・知識、経済力、人徳を高めておきたいが、突発的な事象には現状の力量で適用可能かを判断する。
★「法」は職場における強制力と考えると解りやすい。一対一より、集団の場合に考慮する必要が生じる。
★就職・転職検討先、勤務先、帰属するグループの力量を判断する材料として「道・天・地・将・法」を分析することは有用。
3 七つの基本条件
故に、これをくらぶるに計をもってして、その情をもとむ。曰く、主、いずれか有能なる、将、いずれか有能なる、天地、いずれか得たる、法令、いずれか行なわる、兵衆、いずれか強き、士卒、いずれか練いたる、賞罰、いずれか明らかなる、と。これをもって勝負を知る。
次の七つの基本条件に照らし合わせて、彼我の優劣を比較検討し、見通しをつける。
一、君主は、どちらが立派な政治を行なっているか。
二、将帥は、どちらが有能であるか。
三、天の時と地の利は、どちらに有利であるか。
四、法令は、どちらが徹底しているか。
五、軍隊は、どちらが精強であるか。
六、兵卒は、どちらが訓練されているか。
七、賞罰は、どちらが公正に行なわれているか。
わたしは、この七つの基本条件を比較検討することによって、勝敗の見通しをつけるのである。
【仕事・職場で】
五つの基本問題で自分の力量を把握したら、次は七つの基本条件で相手と自分を比較する。
いずれかにおいて不利だから敗北すると決まったわけではないが、事を起こすからには勝利・成功しなければ、物事を起こしたこと自体が損失となり、その後の自分の置かれる環境の悪化にもつながる。
できるなら、すべてにおいて勝っている状態で事に臨むべきである。
★就職・転職、異動をするなら、どの会社・部署のボスが部下をよく治めているか。ボスが優れていなければ、その組織に帰属しても、組織自体が存続できない。
★上司は、就職・転職先、異動先によって、どちらが有能か。無能な上司のもとで動くのは、動きづらさ、責任転嫁、成果横取りなど、ろくなことが起きない。
★非物理的条件(労働条件など)や物理的条件(立地など)はどちらが有利か
★コンプライアンス(法令順守)や社則、社風は、全体にいきわたっているか。知らないうちに違法なことをさせられている…ということは避けたい。
★有能な社員・メンバーが多いのはどちらか。能力の高い人たちに囲まれていると、自分の能力も引き上げられる。
★個人的感情で賃金などの労働条件を左右されては、どんなに仕事で結果を出しても報われない。自分の能力を適正に評価し、形として報いてくれることがシステムとなっている組織に属したい。
4 仕える条件
もしわが計を聴かば、これを用いて必ず勝たん。これに留まらん。もしわが計を聴かずんば、これを用うるといえども、必ず敗れん。これを去らん。
王が、もしわたしのはかりごとを用い、軍師として登用するなら、必ず勝利を収めることができる。それなら、わたしは貴国にとどまろう。逆にわたしのはかりごとを用いなければ、かりに軍師として戦いにのぞんだとしても、必ず敗れる。それなら、わたしは貴国にとどまる意志はない。
【仕事・職場で】
使われる身としては、「こんなに一所懸命に働いているのに報われない…」とか、「結果を出したのに賃金は変わらない…」や、「どんなに憎まれながらも諫言してきたのに、結局こうなってしまった…」など、報われない思いとともに、この節を思い出すことがあるかもしれない。仕える主をどう定めるかで、やりがいや生きがいの感じ方は変わる。
使う側である場合は、人の承認欲求や自己実現の欲求を満たしてあげられれば、それに報いた働きで応じてくれることもあると知っておこう。
★トップダウン(上意下達)か、ボトムアップ(下意上達)か、組織のカラーを確認する。自分にあった組織に属していないと、いるだけで苦しくなる。
★自分の才能をわきまえる人は、それに見合った報奨を期待している。期待以上をもって報いることが知られていれば、才能はそこに集まってくる。
5 基本と応用
計、利としてもって聴かるれば、すなわちこれが勢をなして、もってその外をたすく。勢とは利によりて権を制するなり。
さて、七つの基本条件において、こちらが有利であるとしよう。つぎになすべきことは、「勢」を把握して、基本条件を補強することである。「勢」とは、その時々の情況にしたがって、臨機応変に対処することをいう。
【仕事・職場で】
基本に忠実であることが前提であるが、より良い結果を生み出す確証が得られれば臨機応変に対応すべき。確証がない考えで上長の指示以外の行動に出て失敗すれば、結果が出せないだけでなく、責任も問われかねない。
意気消沈していれば、効率は下がるし、声掛けにも元気がなくなり、勢いは失われて十分な力量を発揮できない。
意気高揚していれば、効率は高まり、声に張りが出て、勢いは増して十二分な力量を発揮できる。
★勢も味方についているのか、自分の気分が高揚しているだけなのか、区別して把握すべき。自分が昂っていると、あたかも勢いが自分側にあるように錯覚する。
★確証があっても、その考えについて上長に提案してから行動すれば間違いはない。
★相談できる上長がいない場合で選択を迫られたときは基本的な行動をすべきだが、情況判断をするなかでより良い結果への確証をつかみ、リスクを取る勇気を出せるなら、臨機応変な行動は自分の評価を上げる可能性を広げる。
6 兵は詭道なり
兵は詭道なり。故に能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれをみだし、卑にしてこれを驕らせ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す。その無備を攻め、その不意に出づ。これ兵家の勝にして、先には伝うべからざるなり。
戦争は、しょせん、だまし合いである。
たとえば、できるのにできないふりをし、必要なのに不必要と見せかける。遠ざかるとみせかけて近づき、近づくと見せかけて遠ざかる。有利と思わせて誘い出し、混乱させて突きくずす。充実している敵には退いて備えを固め、強力な敵に対しては戦いを避ける。わざと挑発して消耗させ、低姿勢に出て油断をさそう。休養十分な敵は奔命に疲れさせ、団結している敵は離間をはかる。敵の手薄につけこみ、敵の意表をつく。
これが勝利を収める秘訣である。これは、あらかじめこうだときめてかかることはできず、たえず臨機応変の運用を心がけなければならない。
【仕事・職場で】
相手の裏をかくことが勝利につながるのだが、裏をかくためには相手の実を把握していなくてはできない。逆に言えば、こちらの実を把握されていては相手の有利にはたらく。
取り掛かりやすいことは、自分の実をつかませないことである。「能ある鷹は爪を隠す」など、孫子兵法以外でも同じことを考えている。
その上で、相手の実をつかむことができれば、争う前から勝敗は決しているようなものである。
★常に100%の力を出していると、それが当たり前と思われてしまう。
★日頃70%で働いて、いざというときに90%の力を発揮すると高く評価される。仕事のできるできないは、相対評価だからである。
★実力の隠し過ぎには要注意。まわりの人との相対評価をされるので、まわりの実に応じた力量を発揮する必要はある。あまりに低い力を見せ続けると、処分の第一候補にされてしまう。
7 勝利の見通し
それいまだ戦わずして廟算勝つ者は、算を得ること多ければなり。いまだ戦わずして廟算勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。しかるをいわんや算なきにおいておや。吾、これをもってこれを観れば、勝負あらわる。
開戦に先立つ作戦会議で、勝利の見通しがたつのは、勝利するための条件がととのっているからである。逆に、見通しがたたないのは、条件がととのっていないからである。条件がととのっていれば勝ち、ととのっていなければ敗れる。勝利する条件がまったくなかったら、問題にならない。
この観点にたつなら、勝敗は戦わずして明らかとなる。
【仕事・職場で】
なにも争いにしか孫子兵法を使わない手はない。
普段の仕事をするにあたり、諸条件を把握し、手順や効率を組み立ててから作業にとりかかれば、完了までのメドがたつ。しかし、何も考えずに取り掛かれば、いきあたりばったりの作業となり、いつ終わるのか、どのくらいの作業量なのかは終わってみないと分からない。
計画をたてることが苦手な人は、条件のあぶりだしが不足しているのである。
★事前計画を具体的にできないときは、考えるための材料不足。
★上司や組織の要求にこたえられるかどうかを判断するには、分析力と計画力が必要。
弐、作戦篇
1 戦争には莫大な費用がかかる
孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、馳車千駟、革車千乗、革甲十万にて、千里に糧をおくる。すなわち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費やして、しかる後に十万の師挙がる。
およそ戦争というものは、戦車千台、兵卒十万もの大軍を動員して、千里の遠方に糧秣を送らなければならない。したがって、内外の経費、外交使節の接待、軍需物資の調達、車両・兵器の補充などに、一日千金もの費用がかかる。さもないと、とうてい十万もの大軍を動かすことができない。
【仕事・職場で】
人と争うことは、時間・精神・労力を費やすことになる。費やした時間は取り戻せない損失になるし、被る精神的ダメージは肉体のダメージにもつながる。争う前に、そのことを重々覚悟のうえで、事をかまえなければならない。
できれば、時間も精神も無駄にしないように、避けられる争いは避けるべきである。
★先を見越して、あらかじめ犠牲にしても良いものを自分の中で決めておく。頭を下げること、プライドを捨てること、承認欲求を捨てること。どこまでならできるのかを決めておくと、無用な争いを回避できる。ただし、ポリシーだけは捨ててはいけない。
★「大儀の前の小事」。大きな志が自分の中にあるならば、日々の小さな争いごときで左右されることが馬鹿らしくなってくる。できることなら、何のために生きるのか、誰のために生きるのかを見つけたい。
★生きていく中では、損得勘定だけでは片づけられない問題に直面することもある。その場合でも、その物事に応じるには多くのものを費やさなければならないことは知っておくべき。知っていれば、その問題に対する決意は、さらに固い決意となる。
2 兵は拙速を聞く
その戦いを用うるや、勝つも久しければ、すなわち兵を鈍らし鋭を挫く。城を攻むれば、則ち力屈す。久しく師をさらさば、則ち国用足らず。それ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨をつくさば、則ち諸侯、その弊に乗じて起こらん。智者ありといえども、その後を善くすること能わず。故に兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきをみざるなり。それ兵久しくして国利あるは、いまだこれあらざるなり。故にことごとく用兵の害を知らざれば、則ちことごとく用兵の利を知ること能わざるなり。
たとえ戦って勝利を収めたとしても、長期戦ともなれば、軍は疲弊し、士気も衰える。城攻めをかけたところで、戦力は底をつくばかりだ。長期にわたって軍を戦場にとどめておけば、国家の財政も危機におちいる。
こうして、軍は疲弊し、士気は衰え、戦力は底をつき、財政危機に見舞われれば、その隙に乗じて、他の諸国が攻めこんでこよう。こうなっては、どんな知恵者がいても、事態を収拾することができない。
短期決戦に出て成功した例は聞いても、長期戦に持ちこんで成功した例は知らない。そもそも、長期戦が国家に利益をもたらしたことはないのである。それ故、戦争による損害を十分に認識しておかなければ、戦争から利益をひき出すことはできないのだ。
【仕事・職場で】
争えば、短期間で収めても、長期間にわたっても、結果として相手からうとまれることに変わりはない。ただし長期間争った場合は、当事者以外のまわりの人が、自分に対して良くない印象を持ちやすくなる。
また、長期間争うことは、時間・精神・労力をより多く費やすのだから、できるだけ物事は短期間に収めるべきである。
★論争は長引くと、論点が不明になることがある。論争になったら冷静になって、相手が横道に反れることを許さず、短時間で収めること。長時間になりそうなら、当事者だけの空間へ移動し、論議すること。
★なんでも勝てば良いというものではない。負けてでも早期収拾をはかることによって、自分の被る損害を最小にできることは多い。大切なことは、実利をとることであって、勝利することではない。
3 智将は敵に食む
善く兵を用うる者は、役、再籍せず、糧、三載せず。用を国に取り、糧を敵に因る。故に軍食足るべきなり。国の師に貧するは、遠くおくればなり。遠くおくれば、則ち百姓貧し。師に近き者は貴売す。貴売すれば、則ち百姓、財つく。財つくれば、則ち丘役に急なり。力屈し財つき中原の内、家に虚し。百姓の費え、十にその七を去る。公家の費え、破車罷馬、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、十にその六を去る。故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、わが二十鍾に当たり、キ粁一石は、わが二十石に当たる。
戦争指導にすぐれている君主は、壮丁の徴発や糧秣の輸送を二度三度と追加することはしない。装備は自国でまかなうが、糧秣はすべて敵地で調達する。だから、糧秣の欠乏に悩まされることはない。
戦争で国力が疲弊するのは、軍需物資を遠方まで輸送しなければならないからである。したがって、それだけ人民の負担が重くなる。また、軍の駐屯地では、物価の騰貴を招く。物価が騰貴すれば、国民の生活は困窮し、租税負担の重さに苦しむ。かくして、国力は底をつき、国民は窮乏のどん底につきおとされ、全所得の七割までが軍事費にもっていかれる。また、国家財政の六割までが、戦車の破損、軍馬の損失、武器・装備の損耗、車両の損失などによって失われてしまう。
こういう事態を避けるため、智謀にすぐれた将軍は、糧秣を敵地で調達するように努力する。敵地で調達した穀物一鍾は自国から運んだ穀物の二十鍾分に相当し、敵地で調達した飼料一石は自国から運んだ飼料の二十石分に相当するのだ。
【仕事・職場で】
自分以外の資力・能力を上手につかうことができれば、すべてを自分でまかなうより効率が良い。無いものをなげくのではなく、何があるのかをしっかりと調べ、利用していくべきである。
★労働法、労働協約、就業規則、雇用契約書は、自分以外の力を使用するマニュアルなので軽んじないこと。これらに著されていることを、会社も上司も同僚も覆すことは困難だからである。
4 勝ってますます強くなる
故に敵を殺すものは怒なり。敵の利を取るものは貨なり。故に車戦して車十乗已上を得れば、その先ず得たる者を賞し、しかしてその旌旗をかえ、車はまじえてこれに乗り、卒は善くしてこれを養う。これを敵に勝ちて強を益すという。故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。故に兵を知るの将は、生民の司命、国家安危の主なり。
兵士を戦いに駆りたてるには、敵愾心を植えつけなければならない。また、敵の物資を奪取させるには、手柄に見合うだけの賞賜を約束しなければならない。それ故、敵の戦車十台以上も奪う戦果があったときは、まっさきに手柄をたてた兵士を表彰する。そのうえで、捕獲した戦車は軍旗をつけかえて味方の兵士を乗りこませ、また俘虜にした敵兵は手厚くもてなして自軍に編入するがよい。
勝ってますます強くなるとは、これをいうのだ。
戦争は勝たなければならない。したがって、長期戦を避けて早期に終結させなければならない。この道理をわきまえた将軍であってこそ、国民の生死、国家の安危を託すに足るのである。
【仕事・職場で】
チームメイト、部下を発奮させる動機付けが必要であり、また、目標を達成した人にはそれに見合うものを与えなければならない。どちらが欠けても全力で物事に相対してくれない。
★会社の目標、チームの目標、その日の業務の目標を明確にすることで、動機付けにできる。
★目標達成時に応分に報いることそのものが、動機付けになることは多い。
★やりきった仲間への缶コーヒー一本、ねぎらいの言葉が、その人の承認欲求を満たす。また、承認欲求を満たしてあげることで、再び自分とともに頑張ってくれる。
参、謀攻篇
1 百戦百勝は、善の善なるものにあらず
孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、国を全うするを上となし、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。旅を全うするを上となし、旅を破るはこれに次ぐ。卒を全うするを上となし、卒を破るはこれに次ぐ。伍を全うするを上となし、伍を破るはこれに次ぐ。この故に、百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。
戦争のしかたというのは、敵国を傷めつけないで降服させるのが上策である。撃破して降服させるのは次善の策にすぎない。また、敵の軍団にしても、傷めつけないで降服させるのが上策であって、撃破して降服させるのは次善の策だ。大隊、中隊、小隊についても、同様である。
したがって、百回戦って百回勝ったとしても、最善の策とはいえない。戦わないで敵を降服させることこそが、最善の策なのである。
【仕事・職場で】
争って勝つというのは、最後の手段である。最善なのは、争わずして自分の要求を満たすことである。職場でしょっちゅう争いを起こしていては、仕事はやりにくくなるし、自分の評判も悪くなる。
だから人と争う前に、その人がそうせざるを得ない状況を作り出すことが最善である。
★根回しや、根拠の有無にかかわらず噂話をするのは、直接争わずに相手をやり込める昔ながらの手法。いまだにこれが横行するのは、効き目が大きいからである。
★根回しや噂話に対抗するには、どれだけ情報を集められるかにかかっている。普段から観察力・洞察力を研ぎ澄ませ、視聴覚のアンテナを張ることが大切。ただ、それをし続けるのは神経がまいってしまうので、オンオフの使い分けに慣れること。
★論破することが目的ではない。自分の要求を満たすことが目的だということを忘れてはならない。
2 上兵は謀を伐つ
故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。城を攻むるの法は、やむを得ざるがためなり。櫓、轒轀を修め、器械を具う。三月にして後に成る。距闉また三月にして後にやむ。将その忿りにたえずして、これに蟻附せしめ、士を殺すこと三分の一にして、城抜けざるは、これ攻の災いなり。
したがって最高の戦い方は、事前に敵の意図を見破ってこれを封じることである。これに次ぐのは、敵の同盟関係を分断して孤立させること。第三が戦火を交えること。そして最低の策は、城攻めに訴えることである。城攻めというのは、やむなく用いる最後の手段にすぎない。
城攻めを行なおうとすれば、大盾や装甲車など攻城兵器の準備に三ヶ月はかかる。土塁を築くにも、さらに三ヶ月を必要とする。そのうえ、血気はやる将軍が、兵士をアリのように城壁にとりつかせて城攻めを強行すれば、どうなるか。兵力の三分の一を失ったとしても、落とすことはできまい。城攻めは、これほどの犠牲をしいられるのである。
【仕事・職場で】
相手の意図を見破るにしても、相手集団の分断をはかるにしても、必要なのは情報である。相手の能力と目的、相手集団の人間関係や力配分などが分かれば、直接争わなくても済む方法を検討し、実行することができる。
情報不足で事前に手を回せないのなら、直接争うことになる。
避けなければならないのは、相手が最も大切にしている領域に踏み込んでまで争うことである。
相手の思想・信条や家庭、権利などを揺るがす争いになれば、相手は十二分の力で対抗することは明らかであり、自分の費やすエネルギーは計り知れず、場合によっては争った結果が敗北になる可能性が高くなる。
★相手が争う理由をなくすことができれば、そもそも争わなくて済む。
★争点を消すことができないのなら、なぜ相手は要求に応じないのかを探る。忙しいと言うなら、計画の立て方を教えれば良い。作業で手一杯と言うなら、作業フローを一緒に見直してあげれば良い。争わず、協力することで解決できることはたくさんある。
★それでも争うことになれば、自分を冷静に保ち、相手の絶対領域へ踏み込まないように注意すること。
3 戦わずして勝つ
故に善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも、戦うにあらざるなり。人の城を抜くも、攻むるにあらざるなり。人の国をやぶるも、久しきにあらざるなり。必ず全きをもって天下に争う。故に兵やぶれずして、利全かるべし。これ謀攻の法なり。
したがって、戦争指導にすぐれた将軍は、武力に訴えることなく敵軍を降服させ、城攻めをかけることなく敵城をおとしいれ、長期戦にもちこむことなく敵国を滅すのである。すなわち、相手を傷めつけず、無傷のまま味方にひきいれて、天下に覇をとなえる。かくてこそ、兵力を温存したまま、完全な勝利を収めることができるのだ。
これが、知謀にもとづく戦い方である。
【仕事・職場で】
まず、何事においても「何が目的か」「どこがゴールか」を明確にすべきである。
それが明確になれば、仕事においては無駄を省いて、不足を補い、作業フローを組み立てることができる。
人と争いが生じそうになっても、目的が明確になっていれば、目的達成に向かって行動すれば良いことに気付く。目的を達成するためには、必ずしも人と争わなくても良いわけである。
特に、急激に事が起こると頭に血が上り、相手に目が向きがちになるものだが、冷静にその状況における達成目的を見極めたい。そうすれば、相手に争いではなく提案を伝えることができる。
★論破は相手をねじ伏せてだまらせるだけであり、納得させる行為ではない。争点を整理し、その解決案を提示することで、相手の納得を得るべきである。
★結果は別にして、人と争うことは比較的容易である。難しいのは、争わずして問題解決することである。そのためには、誰よりも自分が冷静であらねばならない。
★争いが生じた場合でも、冷静に徹すること。争うなかで妥結点を見出せたなら、争いの勝ち負けではなく、解決を提案すべきだからである。
4 勝算がなければ戦わない
故に兵を用いるの法、十なれば、則ちこれを囲み、五なれば、則ちこれを攻め、倍すれば、則ちこれを分かち、敵すれば、則ちよくこれと戦い、少なければ、則ちよくこれを逃れ、しからざれば、則ちよくこれを避く。故に小敵の堅は、大敵の檎なり。
戦争のしかたは、次の原則にもとづく。
十倍の兵力なら、包囲する。
五倍の兵力なら、攻撃する。
二倍の兵力なら、分断する。
互角の兵力なら、勇戦する。
劣勢の兵力なら、退却する。
勝算がなければ、戦わない。
味方の兵力を無視して、強大な敵にしゃにむに戦いを挑めば、あたら敵の餌食になるばかりだ。
【仕事・職場で】
有利なら争い、不利なら引き際を見極め、勝てないと判断したら争わない。
ここで大切になるのが、自分と相手の力量を冷静に見極めているかどうかである。
仕事なら、目的と制約を見極めることで、完遂できる仕事ならより良い仕上がりを目指し、完遂できないと判断すれば「何が課題となって完遂できないのか」を明確にしたうえで上司と相談すべきである。完遂できない仕事なのに、とにかく取り掛かってしまうことは、愚策である。
人と争う場合においては、目的と彼我に力量の見極めが肝心である。勝ち目のない争いなら起こすことは避け、代替案を示すべきである。自分が有利だとしても、相手を論破するのではなく、目標達成を目指すことが大切である。
これらを考えずに、一時の感情で争い始めてしまっては、勝てるものも勝てなくなる。冷静にことに当たりたい。
★冷静に目的・制約・力量を判断し、勝ち目がないと思ったら代替案・折衷案を提案することも考える。
★仕事はいきなり取り掛からず、まず目的と制約(時間・場所・道具など)をよく分析し、完遂できないと判断したときは、完遂できない原因とともに上司に相談をする。自分では思いつかない解決案を上司から提案してもらえる場合がある。
5 君主の口出し
それ将は国の輔なり。輔周なれば、則ち国必ず強く、輔隙あれば、則ち国必ず弱し。故に君の軍に患うる所以のものに、三あり。軍のもって進むべからざるを知らずして、これに進めといい、軍のもって退くべからざるを知らずして、これに退けという。これを軍を縻すという。三軍の事を知らずして三軍の政を同じくすれば、則ち軍士惑う。三軍の権を知らずして三軍の任を同じくすれば、則ち軍士疑う。三軍すでに惑い且つ疑わば、則ち諸侯の難至る。これを軍を乱し勝を引くという。
将軍というのは、君主の補佐役である。補佐役と君主の関係が親密であれば、国は必ず強大となる。逆に、両者の関係に親密さを欠けば、国は弱体化する。
このように、将軍は重要な職責をになっている。それ故、君主がよけいな口出しをすれば、軍を危機に追いこみかねない。それには、次の三つの場合がある。
第一に、進むべきときでないのに進撃を命じ、退くべきときでないのに退却を命じる場合である。これでは、軍の行動に、手かせ足かせをはめるようなものだ。
第二に、軍内部の実情を知りもしないで、軍政に干渉する場合である。これでは、軍内部を混乱におとしいれるだけだ。
第三に、指揮系統を無視して、軍令に干渉する場合である。これでは、軍内部に不信感を植えつけるだけだ。
君主が軍内部に混乱や不信感を与えたとなれば、それに乗じて、すかさず他の諸国が攻めこんでくる。君主のよけいな口出しは、まさに自殺行為にほかならない。
【仕事・職場で】
現場で動く自分の実情をどこまで把握してくれているか、現場で動く自分にどこまで権限移譲してくれるのか、という課題である。
実状を把握できていなければ、的確の目標設定も指示もできるはずがなく、指示された者は反感を覚えるだけである。
権限移譲をするということは、どこまで信用するか、どこまで責任を負わせるかということである。権限移譲の度合いによって、任された人の動ける幅が変わる。最適な権限の範囲をはかることは難しいが、あまりに不十分だと指示通りに動くことしかできなくなる。
★自分の実情を上司や同僚に把握してもらうには、業務の内容・状況・目標など、情報をよく発信し、報告・連絡・相談することである。これが不十分だと、自分がいかに大変なのか、どれだけの余力があるのかが伝わらず、不本意な印象を持たれかねない。
★権限移譲はしないし、最後の責任も持たない上司はいる。注意して関係を保たなくてはならない。有能な上司のもとでは適度な権限移譲があり、成果を出しやすい。無能な上司のもとでは権限移譲がされず、指示以外の身動きがとれない。
6 彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず
故に勝を知るに五あり。もって戦うべきともって戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。上下欲を同じくする者は勝つ。虞をもって不虞を待つ者は勝つ。将能にして君御せざる者は勝つ。この五者は勝を知るの道なり。故に曰く、彼を知り己れを知れば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼を知らず己れを知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。
あらかじめ勝利の目算を立てるには、次の五条件をあてはめてみればよい。
一、彼我の戦力を検討したうえで、戦うべきか否かの判断ができること。
二、兵力に応じた戦いができること。
三、君主と国民が心を一つに合わせていること。
四、万全の態勢を固めて敵の不備につけこむこと。
五、将軍が有能であって、君主が将軍の指揮権に干渉しないこと。
これが、勝利を収めるための五条件である。
したがって、次のような結論を導くことができる。
敵を知り、己を知るならば、絶対に敗れる気づかいはない。己を知って敵を知らなければ、勝敗の確率は五分五分である。敵を知らず、己をも知らなければ、必ず敗れる。
【仕事・職場で】
孫子を知らなくても、この言葉は知っている…というくらい有名な言葉である。
冷静に、客観的・俯瞰的に分析することが大切である。思い込みや根拠のない自信・不安を排除しなくてはならないので、この言葉を徹底しようとすると案外慣れるまでは難しいかもしれない。
★まずは自己分析をして、自分の得手不得手、能力、才能、性格・性質などを把握しよう。
★次いで、日頃から周りの人の、人となりを把握しておこう。事が起こってから相手を分析しようとしても、それはほぼ無理なことだからである。
★自分自身のことが分かっていれば、与えられる業務をどうこなせるかが見える。周りの人のことを把握できていれば、チームを組むときの見通しを立てられる。
四、軍形篇
1 敵のくずれを待つ
孫子曰く、昔の善く戦う者は、まず勝つべからざるをなして、もって敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、善く勝つべからざるをなすも、敵をして必ず勝つべからしむること能わず。故に曰く、勝は知るべくして、なすべからず、と。
むかしの戦上手は、まず自軍の態勢を固めておいてから、じっくりと敵のくずれるのを待った。これで明らかなように、不敗の態勢をつくれるかどうかは自軍の態勢いかんによるが、勝機を見い出せるかどうかは敵の態勢いかんにかかっている。したがって、どんな戦上手でも、不敗の態勢を固めることはできるが、必勝の条件まではつくり出すことができない。
「勝利は予見できる。しかし必ず勝てるとはかぎらない」とは、これをいうのである。
【仕事・職場で】
人を変えることは非常に難しいことだが、それに比べれば自分を変えることは易しい。業務を他の業務に変えることはできないが、それに比べれば自分を変えることは易しい。
まず自分を確立し、成長していかなければならない。自分自身を把握しなければならない。
また、窮地におちいっても、あきらめてはいけない。孫子の言葉を逆に言うと「敗北は予見できる。しかし必ず負けるとはかぎらない」となるからである。
★変えられないのは人。変えられるのは自分。
★変えられないのは業務。変えられるのは自分。
★勝機を見ても油断してはならない。敗北を予見しても、あきらめてはいけない。
2 攻めと守り
勝つべからざるは守るなり。勝つべきは攻むるなり。守るは則ち足らざればなり。攻むるは則ち余り有ればなり。善く守る者は九地の下に蔵れ、善く攻むる者は九天の上に動く。故によく自ら保ちて勝を全うするなり。
勝利する条件がないときは、守りを固めなければならない。逆に、勝機を見い出したときは、すかさず攻勢に転じなければならない。つまり、守りを固めるのは、自軍が劣勢な場合であり、攻勢に出るのは、自軍が優勢な場合である。
したがって、戦上手は、守りについたときは、兵力を隠蔽して敵につけこむ隙を与えないし、攻めにまわったときはすかさず攻めたてて、敵に守りの余裕を与えない。かくて、自軍は無傷のまま完全な勝利を収めるのである。
【仕事・職場で】
日常からアゲアゲ攻め攻めなら別だが、そうでなければ普段は守勢にある。ここで大切になってくることが「つけこむ隙を与えない」ことである。いかに自分の全容を計らせずに、こちらが「見せたい自分」だけを見せることができるか。それができれば、配分される期待も業務も、こちらの思惑に近づいてくれる。そして、いざという時は全力で攻勢にまわり、普段以上の成果をあげてみせるのである。
★計られてはならない。計らせなさい。
★「策士策に溺れる」は常に肝に銘じて、気を付けること。
★守勢から攻勢に転じることで、そのギャップを好評価に利用しよう。
3 勝ち易きに勝つ
勝を見ること衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なる者にあらざるなり。戦い勝ちて天下善しと曰うも、善の善なる者にあらざるなり。故に秋毫を挙ぐるも多力となさず。日月を見るも明目となさず。雷霆を聞くも聡耳となさず。古のいわゆる善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。故に善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし。
誰にでもそれとわかるような勝ち方は、最善の勝利ではない。また、世間にもてはやされるような勝ち方も、最善の勝利とはいいがたい。
たとえば、毛を一本持ちあげたからといって、誰も力持ちとはいわない。太陽や月が見えるからといって、誰も目がきくとはいわない。雷鳴が聞こえたからといって、誰も耳がさといとはいわない。そういうことは、普通の人なら、無理なく自然にできるからである。
それと同じように、むかしの戦上手は、無理なく自然に勝った。だから、勝っても、その知謀は人目につかず、その勇敢さは、人から称賛されることがない。
【仕事・職場で】
良い仕事をしつづければ、トラブルを起こさないのはもちろん、業務が洗練され効率化されきっていくのだから、目をみはる成果を披露する機会に恵まれない。まるで何事もないかのごとく、日々業務を遂行していくので、そのことを見抜けない上司・同僚からは報いも労いもない。真摯に仕事と向き合う人ほど、自分の功績をひけらかすために仕事をしていないので、よけいに成果が目に見えにくい。
しかし、そのような仕事をしていれば、後続の着任者が、いつかはその功績に気付くときもあるだろう。
★良い仕事は、人知れないものである。
★ハードウェア・ソフトウェアが何事もなく安定して稼働しつづけられるのは、担当者がパッチファイルやシステムのアップデートを人知れず行ない続けているおかげである。良い仕事とは、そういうものである。
★仕事ができない人の特徴には、音・声を出す、デスク周りが散らかり放題、計画性がないなどが見られる。仕事ができる人は、そういったムダを嫌うので、目立たない。
4 まず勝ちて後に戦う
故にその戦い勝ちてたがわず。たがわざるは、その措く所必ず勝つ。すでに敗るる者に勝てばなり。故に善く戦う者は不敗の地に立ち、しかして敵の敗を失わざるなり。この故に勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いてしかる後に勝ちを求む。善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故によく勝敗の政をなす。
だから、戦えば必ず勝つ。打つ手打つ手がすべて勝利に結びつき、万に一つの失敗もない。なぜなら、戦うまえから敗けている相手を敵として戦うからだ。つまり、戦上手は、自軍を絶対不敗の態勢におき、しかも敵の隙はのがさずとらえるのである。
このように、あらかじめ勝利する態勢をととのえてから戦う者が勝利を収め、戦いをはじめてからあわてて勝機をつかもうとする者は敗北に追いやられる。
それ故、戦争指導にすぐれた君主は、まず政治を革新し、法令を貫徹して、勝利する態勢をととのえるのである。
【仕事・職場で】
行動するパターンは三つに分けることができる。①まず行動してから考える、②行動しながら考える、③考えてから行動する、である。
①を良しとする人は多いが、①の実は②だと考えられる。ただ、①と②は悪く言えば「いきあたりばったり」なのである。機転の利く人や、おぼえ・作業の早い人は「臨機応変」に生じた課題・問題を乗り越えていくであろうが、それが苦手であればそうはいかない。
機転が利かず、おぼえ・作業の遅い人は③でいくべきである。仕事を始める前、争いを起こす前に対象を分析し、攻略法を整理・改良してから取り掛かれば、予想済みの起こり得るであろう課題・問題の解決法は用意済みなので、難なく乗り越えることができ、最小の労力で事を成すことができるのである。
なお、最も避けるべきは「考えるだけで何もできない」ことであるのは言うまでもない。
★計画・予定をたてて行動しよう。なお、予定は希望ではなく、予測とするべき。
★業務はあらかじめ作業フローを整理・改善しよう。
★作業前に必要な道具は準備しておこう。つど道具を取りに動くのは、非効率的である。
5 勝兵は鎰(いつ)をもって銖(しゅ)を称(はか)るがごとし
兵法は、一に曰く度、二に曰く量、三に曰く数、四に曰く称、五に曰く勝。地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。故に勝兵は鎰をもって銖を称るがごとく、敗兵は銖をもって鎰を称るがごとし。勝者の民を戦わすや、積水の千仭の谿に決するがごときは、形なり。
戦争の勝敗は、次の要素によって決定される。
一、国土の広狭
二、資源の多寡
三、人口の多少
四、戦力の強弱
五、勝敗の帰趨
つまり、地形にもとづいて国土の広狭が決定される。国土の広狭にもとづいて資源の多寡が決定される。さらに、資源の多寡が人口の多少を決定し、人口の多少が戦力の強弱を決定する。そして、戦力の強弱が戦争の勝敗を決定するのである。
彼我の戦力の差が、鎰(重さの単位)をもって銖(鎰の五百分の一の重さ)に対するようであれば、必ず勝つ。逆に銖をもって鎰に対するようであれば、必ず敗れる。
勝利する側は、満々とたたえた水を深い谷底に切って落とすように、一気に敵を圧倒する。態勢をととのえるとは、これをいうのである。
【仕事・職場で】
ここでいう条件を、次のように読み替えると作業効率が上がる。
一、国土の広狭…作業する場所の広さを確保できているか
二、資源の多寡…作業に使う道具の数は十分にあるか
三、人口の多少…道具の数だけ人手が適正にあるか
四、戦力の強弱…用意された人員による作業の仕上がる早さ・正確さ・丁寧さ
五、勝敗の帰趨…以上が十分なら作業の成功は確実
パソコンを使ってデータ入力をする場合でたとえると…
一、国土の広狭…職場の広さ。デスク上の広さ(パソコン・書類などを置けるのか)
二、資源の多寡…パソコンは何台用意できるのか。その台数で十分なのか。
三、人口の多少…パソコンの数だけ人手が用意できているか。
四、戦力の強弱…用意できたパソコン・人員の数に応じて早く正確に仕上がる。
五、勝敗の帰趨…用意万端で入力作業は成功確実
★作業は「段取り八分」。準備をしっかり整えて作用に取り掛かれば、8割がた成功したようなものである。
★前準備をしっかりしておくことによって、作業中は作業にだけ集中していられる。
伍、兵勢篇
1 軍の編成、指揮、奇正、虚実
孫子曰く、およそ衆を治むること寡を治むるがごとくなるは、分数これなり。衆を闘わしむること寡を闘わしむるがごとくなるは、形名これなり。三軍の衆、必ず敵を受けて敗なからしむるべきは、奇正これなり。兵の加うる所、碬をもって卵に投ずるがごとくなるは、虚実これなり。
大軍団を小部隊のように統制するには、軍の組織編成をきちんと行わなければならない。
大軍団を小部隊のように一体となって戦わせるには、指揮系統をしっかりと確立させなければならない。
全軍を敵の出方に対応させて絶対不敗の境地に立たせるには、「奇正」の運用、つまり変幻自在な戦い方に熟達しなければならない。
石で卵を砕くように敵を撃破するには、「実」をもって「虚」を撃つ、つまり充実した戦力で敵の手薄を衝く戦法をとらなければならない。
【仕事・職場で】
集団として十分に機能するには、組織編成がしっかりしていること、指揮系統がしっかり確立していることが肝要となる。
古参であることを理由に、職位と関係なく指示をしてしまう人が、どの職場にも一人や二人はいるものである。リーダーシップと言えば聞こえは良いが、最も困ってしまうのは「上司と古参の指示が異なるとき」である。このとき、指揮系統、つまり職位による指示系統が年功によって崩れていると、上司と古参のどちらに従えば良いのかを判断するのに窮する。
もしも自分の職場にそのような古参がいる場合は、事が起きる前に自分の中で「職場の指示系統」を整理しておき、いざというときは「仕事なので●●さんの指示に従います」と明言できるようにしておこう。
★業務命令に背いて仕事上の失態が起きれば自己責任となる。古参より上司の指示優先は当然のことである。
★業務命令に背いて労働災害が起きると、安全配慮義務違反で上司に迷惑をかけてしまう可能性がある。また、最悪の場合、自分への補償も危うくなる。古参だからと安易に従わないよう重々気を付ける必要がある。
★古参を制御できない上司と侮ってはならない。なぜなら、業務上の指揮監督権や決裁権を持つのは古参ではなく、下手に出ている上司だからである。
2 戦いは奇をもって勝つ
およそ戦いは、正をもって合し、奇をもって勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まりなきこと天地のごとく、竭きざること江河のごとし。終りてまた始まるは、日月これなり。死してまた生ずるは、四時これなり。
敵と対峙するときは、「正」すなわち正規の作戦を採用し、敵を破るときは、「奇」すなわち奇襲作戦を採用する。これが一般的な戦い方である。
それ故、奇襲作戦を得意とする将軍の戦い方は、天地のように終わりがなく、大河のように尽きることがない。また、日月のように没してはまた現れ、四季のように去ってはまた訪れ、まことに変幻自在である。
【仕事・職場で】
作業は正攻法が基本である。しかし、普段の作業フローでは到底完遂できないことが明らかになった場合…突発的な業務が舞い込んできた場合など…は、奇、すなわち正攻法とは違う作業フローで相対することが突破口となるときがある。
なぜなら、同じことをしていては、同じ結果しか得られないのは当たり前だからである。
違う結果を出さざるを得ないのであれば、作業フローの思い切った見直しが必要になる。カットできる部分を慣行にとらわれずにカットし、前例になかった合理的手法を組み込むことができるかどうかである。
ただし、奇は奇抜ということではない。職場の前例に無いだけであり、他部署や他社、同僚や自分の経験からの成功事例にならうのである。根拠や確信の無い奇は、情況を悪化させる恐れがある。
議論も正攻法が基本である。しかし、議論が膠着した場合は別である。なぜ膠着しているかというと、同じ視点、同じ論点の繰り返しで、平行線だからである。
突破口は奇、すなわち正攻法の議論では得られていない視点からの提案である。この提案は、詭弁や独善におちいらないよう注意が必要である。
ポイントは冷静であること、分析すること、俯瞰的にとらえることである。議論とともに自分までヒートアップしていては、それらはおぼつかず、新しい視点からの提案は難しいであろう。
★「解決できない」と、あきらめてはいけない。「どうすれば解決できるか」を、冷静に考えよう。
★慣例、前例にこだわっていては、新しい成果を生み出すことはできない。正攻法で行き詰まったなら、思い切った決断が必要になる。それができないのならば、結果は良くて従来と同じ、悪くすれば結果は後退する。
★奇策はあくまでも奇策である。奇策が常態化すれば、それはもはや奇策ではなくなる。基本は正攻法であり、いよいよという場合に奇策を用いるべきである。
3 奇正の変は、勝げて窮むべからず
声は五に過ぎざるも、五声の変は、勝げて聴くべからず。色は五に過ぎざるも、五色の変は、勝げて観るべからず。味は五に過ぎざるも、五味の変は、勝げて嘗むべからず。勝勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は、勝げて窮むべからず。奇正の相生ずること、循環の端なきがごとし。孰かよくこれを窮めんや。
音階の基本は、宮、商、角、徴、羽の五つにすぎないが、その組み合わせの変化は無限である。
色彩の基本は、青、赤、黄、白、黒の五つにすぎないが、組み合わせの変化は無限である。
味の基本は、辛、酸、鹹、甘、苦の五つにすぎないが、組み合わせの変化は無限である。
それと同じように、戦争の形態も「奇」と「正」の二つから成り立っているが、その変化は無限である。「正」は「奇」を生じ、「奇」はまた「正」に転じ、円環さながらに連なってつきない。したがって、誰もそれを知りつくすことができないのである。
【仕事・職場で】
正攻法で作業をしているから奇策が高い効果を発揮し、奇策に取り組んだ経験は正攻法の手堅さを再認識できるものである。この二者間は互いに作用するものであり、互いを洗練することができる。
いわゆる「臨機応変」に正攻法と奇策を用いることが大切であって、その用法の完璧な方程式など、誰にも編み出すことができない。「これで完璧」など存在しないのである。
★正攻法の作業は臨機応変に奇策を取り入れる。そのためには、冷静な観察と分析、俯瞰的視野と判断を心がけるべきである。目の前の作業に没頭するだけでは、効率化も合理化もできない。
★今の作業フローが完璧でも、技術や機器、ソフトウェアの発展などにより、その完璧は過去のものとなり、改善の余地が生じる。節目節目で効率化・合理化の推進を考えること。現状に満足したら、成長はそこで終わりである。
4 激水の石を漂わすに至るは勢なり
激水の疾くして石を漂わすに至るは、勢なり。鷙鳥の撃ちて毀折に至るは、節なり。この故に善く戦う者は、その勢は険にして、その節は短なり。勢は弩を彍るがごとく、節は機を発するがごとし。
せきとめられた水が激しい流れとなって岩を押し流すのは、流れに勢いがあるからである。猛禽がねらった獲物を一撃のもとにうち砕くのは、一瞬の瞬発力をもっているからである。
それと同じように、激しい勢いに乗じ、一瞬の瞬発力を発揮するのが戦上手の戦い方だ。弓にたとえれば、引きしぼっと弓の弾力が「勢い」であり、放たれた瞬間の矢の速力が「瞬発力」である。
【仕事・職場で】
完全に自分に流れが勢いづいていると感じているなら、そこであれこれ思案しているうちにその勢いに乗り遅れてしまうことがないようにしたい。
業務でも争いでも、それらは生き物であり、変化し続けるものである。事前の分析や検討が大切なのは確かだが、事が起こったなら計算外の勢いが発生するときがある。その勢いが自分のものであるなら、その流れにうまく乗るセンスは重要である。
逆に、争っていて相手が勢いづいたときは要注意である。相手の整合性はともかくも、たたみかけてくるであろう前提で、相手の勢いが止まるまでガッチリ守りに入ることが無難である。
★冷静に計画的に事を運びつつも、勢いが自分に来たと思ったなら、その流れに乗るべきである。天の時を得た状態である。
★相手が勢いに乗る場合には、守りに徹すること。勢いは理屈だけでは説明しきれないエネルギーに満ちているからである。
★作業をすすめる心身が軽く感じることがある。集中力が高まり、かつ、疲れに達していないときである。それは作業の勢いに乗っている状態であるから、ミスには注意しつつ、思い切り作業を進めよう。
5 利をもって動かし、卒をもって待つ
粉粉紜紜として闘い乱れて、乱すべからず。渾渾沌沌として形円くして、敗るべからず。乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は彊に生ず。治乱は数なり。勇怯は勢なり。彊弱は形なり。故に善く敵を動かす者は、これに形すれば、敵必ずこれに従い、これに予うれば、敵必ずこれを取る。利をもってこれを動かし、卒をもってこれを待つ。
両軍入りまじっての乱戦となっても、自軍の隊伍を乱してはならない。収拾のつかぬ混戦となっても、敵に乗ずる隙を与えてはならない。
乱戦、混戦のなかでは、治はたやすく乱に変わり、勇はたやすく怯に変わり、強はたやすく弱にかわりうる。治乱を左右するのは統制力のいかんであり、勇怯を左右するのは勢いのいかんであり、強弱を左右するのは態勢のいかんである。
それ故、用兵にたけた将軍は、敵が動かざるをえない態勢をつくり、有利なエサをばらまいて、食いつかせる。つまり、利によって敵を誘い出し、精強な主力を繰り出してこれを撃滅するのである。
【仕事・職場で】
対象が「そうならざるを得ない」状況を作り出すことができれば、自分に有利にことを運ぶことができる。
作業の場合、たとえば○×2種類データを分類するとしよう。
◆データ一件の○×判定をしてから、次のデータの判定をする…を繰り返す。
◆まず全てのデータのうち×だけを判定して、×の選別だけは終わらせてしまう。そうすれば残りは○しかないので、未判定のデータは○とならざるをえない。
はたしてどちらの作業フローが効率的だろうか。どちらがミスの少ない作業になるだろうか。
論争の場合、たとえば口が達者なだけの人を相手にしなければならないとしよう。
まず一通りしゃべらせておき、整合性が合わない部分を記憶しておく。必ず話は途切れるので、その瞬間に一気に不整合点について質問をたたみかける。当然、口が達者なだけで理路整然と話していたわけでなければ、答えに窮して、だまらざるをえない。
つど回答を迫るのと、一気にいくつもの回答を迫るのと、どちらが相手の口を閉ざすのに有効だろうか。
★議論になったら、とりあえず相手に話させよう。だまっている自分に対して言いたいことが言える相手は調子に乗り、不整合におちいることがあるだろう。そこで、相手の不整合な点を集めておいて、一気にたたみかけよ。
6 勢に求めて人に責めず
故に善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。故によく人を択てて勢に任ず。勢に任ずる者は、その人を戦わしむるや木石を転ずるがごとし。木石の性、安なれば則ち静に、危なれば則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仭の山に転ずるがごときは、勢なり。
したがって戦上手は、なによりもまず勢いに乗ることを重視し、一人ひとりの働きに過度の期待をかけない。それゆえ、全軍の力を一つにまとめて勢いに乗ることができるのである。勢いに乗れば、兵士は、坂道を転がる丸太や石のように、思いがけない力を発揮する。丸太や石は、平坦な場所では静止しているが、坂道におけば自然に動き出す。また、四角なものは静止しているが、丸いものは転がる。
勢いに乗って戦うとは、丸い石を千仭の谷底に転がすようなものだ。これが、戦いの勢いというものである。
【仕事・職場で】
個人の力に期待するな、ということではない。個人の力は、どんなに優れていても一人分の力でしかない。だからもしチームや集団で行動・業務を行なうのであれば、個人個人がバラバラに頑張っても一人の力の集合に終わってしまうのだから、いかに集団行動・チームプレイにもっていけるかが重要なのである。
個人を信用したうえで、その集まりをどうつなげていくかが、腕の見せ所である。それぞれの得意に応じて受け持ち分担をする手もあるし、家内制手工業や工業制手工業などを参考に分業して業務の単純化・効率化をはかる手もある。
★一人ではできない業務は、一人だけ優れた人がいるチームより、すぐれたチームプレイができる平凡な個人の集まりの方が有用である。
★自分がリーダーをしなければならないなら、一人一人の能力を教育してのばすことより、個人たちをどう連結させてチームプレイができるように作業フローを構築するかが大切である。
六、虚実篇
1 人を致して人に致されず
孫子曰く、およそ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は、労す。故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。よく敵人をして自ら至らしむるは、これを利すればなり。よく敵人をして至るを得ざらしむるは、これを害すればなり。故に敵佚すれば、よくこれを労し、飽けば、よくこれを饑えしめ、安ければ、よくこれを動かす。
敵より先に戦場におもむいて相手を迎え撃てば、余裕をもって戦うことができる。逆に、敵よりおくれて戦場に到着すれば、苦しい戦いをしいられる。それ故、戦上手は、相手の作戦行動に乗らず、逆に相手をこちらの作戦行動に乗せようとする。
敵に作戦行動を起こさせるためには、そうすれば有利だと思いこませなければならない。逆に作戦行動を思いとどまらせるためには、そうすれば不利だと思いこませることだ。
したがって、敵の態勢に余裕があれば、手段を用いて奔命に疲れさせる。敵の食糧が十分であれば、糧道を断って飢えさせる。敵の備えが万全であれば、計略を用いてかき乱す。
【仕事・職場で】
争いにおいては、主導権をいかに握るかが肝要である。受動的では返す言葉を考えることで精一杯になる。とてもではないが、相手を追いこむことなどできなくなる。
相手のペースに乗らず、自分のペースにもっていくことが重要なのである。
★論争では、相手の問いに答えるだけではいけない。それでは相手に次の問いを投げかけさせる口実を与えるようなものである。問いに答えるときは、相手への質問もセットにして返すこと。
★どうしても相手のペースから逃れられないときは、理由を付けて(トイレ、電話など)中座し、流れを強制的にストップさせる。
2 守らざる所を攻める
その趨かざる所に出で、その意わざる所に趨く。行くこと千里にして労せざるは、無人の地を行けばなり。攻めて必ず取るは、その守らざる所を攻むればなり。守りて必ず固きは、その攻めざる所を守ればなり。故に善く攻むる者には、敵、その守る所を知らず。善く守る者には、敵、その攻むる所を知らず。微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故によく敵の司命たり。
敵が救援軍を送れないところに進撃し、敵の思いもよらぬ方面に撃って出る。
千里も行軍して疲労しないのは、敵のいないところを進むからである。攻撃して必ず成功するのは、敵の守っていないところを攻めるからである。守備に回って必ず守り抜くのは、敵の攻めてこないところを守っているからである。
したがって、攻撃の巧みな者にかかると、敵はどこを守ってよいかわからなくなる。また、守備の巧みな者にかかると、敵はどこを攻めてよいのかわからなくなる。
そうすると、まさに姿も見せず、音もたてず、自由自在に敵を翻弄することができる。こうあってこそはじめて敵の死命を制することができるのだ。
【仕事・職場で】
議論になったら、冷静に中心点を見い出す。もし、相手の話が中心点からそれた部分でヒートアップしていたなら、同じ土俵で応答を繰り返すことをバッサリ中断し、中心点を突き付けるべきである。そうすれば、相手はひととき、思考と口が止まるだろう。
なぜなら、相手の攻守している課題で議論するなら、相手のペースで議論をすすめる状態なのだが、あるべき中心点に自分が気が付けば、相手の思っていなかった土俵にこちらが持ちこむことができるからである。
★議論が相手のペースになっているときは、相手の前提・論点で議論が展開しているときである。その前提・論点が議論の中心点からそれているならば、中心点を突き付けてこちらのペースに持ちこむべし。
★口数だけでたたみかけてくる相手は、自分が口数で負けると思っていない。思っていないからこそ、口数でたたみかけることが効果的なときがある。
3 虚を衝く
進みて禦ぐべからざるは、その虚を衝けばなり。退きて追うべからざるは、速かにして及ぶべからざればなり。故に我戦わんと欲すれば、敵、塁を高くし溝を深くすといえども、我と戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなり。我戦いを欲せざれば、地を画してこれを守るも、敵、我と戦うを得ざるは、その之く所に乖けばなり。
進撃するときは、敵の虚を衝くことだ。そうすれば敵は防ぎきれない。退却するときは、迅速にしりぞくことだ。そうすれば敵は追撃しきれない。
こちらが戦いを欲するときは、敵がどんなに塁を高くして堀を深くして守りを固めていても、戦わざるをえないようにしむければよい。それには、敵が放置しておけないところを攻めることだ。
反対に、こちらが戦いを欲しないときは、たとえこちらの守りがどんなに手薄であっても、敵に戦うことができないようにしむければよい。それには、敵の進攻目標を他へそらしてしまうことだ。
【仕事・職場で】
争いたくはないときにどうすれば良いか。結論は簡単で、相手の戦意を喪失させるか、そらせることができれば良い。難しいのは、その方法である。
相手の戦意を喪失させる方法は大きく二通り。
原因を解消するか、相手を圧倒するかである。
相手の戦意をそらせる方法は大きく二通り。
スケープゴート(身代わり)に戦意を向けさせるか、争っている場合ではなくするかである。
★争わないために、あえて先制してたたみかける方法もある。ハラスメントに十分注意しなければならないが、普段より一段だけ声を張る、正論をぶつけるなどである。これで機先を制することができれば、相手を圧倒して争いに至らなくできる可能性が高まる。
★自分か相手に急用が入れば、争っている場合ではなくなる。多用はできないが、自分の携帯電話に電話がかかってきたことにすれば、その場を離れられるので、必然的に争いには至らなくなる。
★物事の多くは相対評価なので、自分より劣ってみえるもの、悪条件にみえるものがあれば、相手の矛先はそちらに向かうというものである。
4 十をもって一を攻める
故に人を形せしめて我に形なければ、則ち我は専にして敵は分かる。我は専にして一となり、敵は分かれて十となれば、これ十をもってその一を攻むるなり。則ち我は衆くして敵は寡し。よく衆をもって寡を撃たば、則ち吾のともに戦う所の者は約なり。吾のともに戦う所の地は知るべからず。知るべからざれば、則ち敵の備うる所の者多し。敵の備うる所の者多ければ、則ち吾のともに戦う所の者は寡し。故に前に備うれば則ち後寡く、後に備うれば則ち前寡く、左に備うれば則ち右に寡く、右に備うれば則ち左寡し。備えざる所なければ、寡からざる所なし。寡きは人に備うるものなり。衆きは人をして己れに備えしむるものなり。
こちらからは、敵の動きは手にとるようにわかるが、敵はこちらの動きを察知できない。これなら、味方の力は集中し、敵の力を分散させることができる。こちらがかりに一つに集中し、敵が十に分散したとする。それなら、十の力で一の力を相手にすることになる。つまり、味方は多勢で敵は無勢。多勢で無勢を相手にすれば、戦う相手が少なくてすむ。
どこから攻撃されるかわからないとなれば、敵は兵力を分散して守らなければならない。敵が兵力を分散すれば、それだけこちらと戦う兵力が少なくなる。
したがって敵は、前を守れば後が手薄になり、後を守れば前が手薄になる。左を守れば右が手薄になり、右を守れば左が手薄になる。四方八方すべてを守れば、四方八方すべてが手薄になる。
これで明らかなように、兵力が少ないというのは、分散して守らざるをえないからである。また、兵力が多いというのは、相手を分散させて守らせるからである。
【仕事・職場で】
こちらの全容は見せず、相手の全容を知ることができれば、こちらは一点集中で攻めることができるが、相手は様々な可能性に備えなければならないのだから、それぞれの費やすエネルギーの差は説明するまでもない。
業務の場合、一から十までの作業フローがあるなら、一から十まで一気に終わらせて次に移るのは集中力を効率良く使っているとは言えない。作業フローをまとまり毎に分散させれば、自分は集中しやすくなる。
つまり、同様の集中力を向ける作業ごとにフローを区分する。一から三だけをすべてやってしまう。次いで、四から六だけをすべてやってしまう。仕上げに七から十だけをすべてやってしまえば、作業を単純化できるのでミスが少なくなり、スピードも上がる。
★争いに備えるならば、自分の能力のすべてを相手につかませてはいけない。逆に、相手の能力を可能な限り把握すべきである。
★十の作業フローに対して、十の力を使うのではなく、十のフローを分割して一ブロックあたりの作業を単純化することで、一ブロックに対して十の力をもって作業することができ、効率的になる。
5 戦いの地・戦いの日を知らざれば……
故に戦いの地を知り、戦いの日を知れば、則ち千里にして会戦すべし。戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、則ち左、右を救う能わず、右、左を救う能わず、前、後を救う能わず。しかるを況んや遠きは数十里、近きは数里なるをや。吾をもってこれを度るに、越人の兵多しといえども、また奚ぞ勝敗に益せんや。故に曰く、勝は為すべきなり。敵衆しといえども、闘うことなからしむべし。
したがって、戦うべき場所、戦うべき日時を予測できるならば、たとえ千里も先に遠征したとしても、戦いの主導権をにぎることができる。逆に、戦うべき場所、戦うべき日時を予測できなければ、左翼の軍は右翼の軍を、右翼の軍は左翼の軍を救援することができず、前衛と後衛でさえも協力しあうことができない。まして、数里も数十里も離れて戦う友軍を救援できないのは、当然である。
わたしが考えるに、敵国越の軍がいかに多かろうと、それだけでは勝敗を決定する要因とはなりえない。なぜなら、勝利の条件は人がつくり出すものであり、敵の軍がいかに多かろうと、戦えないようにしてしまうことができるからだ。
【仕事・職場で】
作業をする場所、日時があらかじめ分かっているならば、その場所が離れた場所であっても、その日時が先の事であっても急の事であっても、それに備えた準備を万端に行なうことができる。
しかし、場所や日時が分からず、急に作業をすることになれば、道具が足りない、人手が足りないなど、対応しきれなくなっても不思議ではない。
これは、作業のボリュームの変動予測についても言えることである。月ベース、年ベースなどで、作業量の波を予測できているのならば、それに備えた態勢をあらかじめ整えることができる。予測を怠っていれば、今は楽でも、作業量の大きい波をむかえたときには手も頭も回らず、自分の首をしめることになる。
★仕事の計画・予測は、余力があるうちにたて、対応策を講じておこう。計画・予測を整理することによって、さらに余力が生まれることもおぼえておこう。
★論議する場所、日時はあらかじめ知っておこう。その日にむけて、論点に関するリサーチ、資料集め、発言予定内容の整理、予想される反論の整理を行なっておこう。
★いきあたりばったりでは、本来ならできることもできなくなる。
6 兵を形するの極は無形に至る
故にこれを策りて得失の計を知り、これを作して動静の理を知り、これを形して死生の地を知り、これに角れて有余不足の処を知る。故に兵を形するの極は、無形に至る。無形なれば、則ち深間も窺うこと能わず、智者も謀ること能わず、形に因りて勝を衆に錯おくも、衆、知ること能わず。人みなわが勝つ所以の形を知るもわが勝を制する所以の形を知ることなし。故にその戦い勝つや復びせずして、形に無窮に応ず。
勝利する条件は、次の四つの方法でつくり出される。
一、戦局を検討して、彼我の優劣を把握する。
二、誘いをかけて、敵の出方を観察する。
三、作戦行動を起こさせて、地形上の急所をさぐり出す。
四、偵察戦をしかけて、敵の陣形の強弱を判断する。
先にも述べたように、戦争態勢の神髄は、敵にこちらの動きを察知させない状態―――つまり「無形」にある。こちらの態勢が無形であれば、敵側の間者が陣中深く潜入したところで、何もさぐり出すことはできないし、敵の軍師がいかに知謀にたけていても、攻め破ることができない。
敵の態勢に応じて勝利を収めるやり方は、一般の人にはとうてい理解できない。かれらは、味方のとった戦争態勢が勝利をもたらしたことは理解できても、それがどのように運用されて勝利を収めるに至ったのかまではわからない。
それ故、同じ戦争態勢をくり返し使おうとするが、これはまちがいである。戦争態勢は敵の態勢に応じて無限に変化するものであることを忘れてはならない。
【仕事・職場で】
固定観念に縛られていては、情勢の変化に対する反応ができなかったり、遅れたりする。柔軟な姿勢、臨機応変な対応ができるかどうかが大切である。
また、自分は相手の情報をできるだけつかみ、相手には自分の情報の全容をつかませないことが、争いを有利にすすめるうえで肝要となってくる。情報を把握している者が的確に対応を変化させることができる。情報を把握していなければ、どう対応すべきか判断を誤って当たり前である。
★慣例や前例の歴史や良い部分は学びつつ、どこは変えるべきか、どこは変えて良いのかをあらかじめ理解しておくことで、情勢の変化に対応していくことができる。
★固定概念や先入観ではなく、最新の情報を把握するべきである。情報無くして道をひらくことはできない。
★「いきあたりばったり」と「臨機応変」は違う。前者は情報を持たない変化であり、後者は情報に応じた変化である。
7 実を避けて虚を撃つ
それ兵の形は水に象る。水の形は高きを避けて下きに趨く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、水に常形なし。よく敵に因りて変化し、しかして勝を取る者、これを神という。故に五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短調あり、月に死生あり。
戦争態勢は水の流れのようであらねばならない。水は高い所を避けて低い所に流れて行くが、戦争も、充実した敵を避けて相手の手薄をついていくべきだ。
水に一定の形がないように、戦争にも、不変の態勢はありえない。敵の態勢に応じて変化しながら勝利をかちとってこそ、絶妙な用兵といえる。
それはちょうど、五行が相克しながらめぐり、四季、日月が変化しながらめぐっているのと同じである。
【仕事・職場で】
組織や作業フローに「完璧」が存在していれば、その形は既に世に普及しているはずである。もし現在の組織や作業フローがそのようなものでないのならば、情勢に応じて変化できる柔軟性を持つことが大切である。
★人の多くは凡人である。凡人が完璧なものを作り出すことは困難である。それゆえ、自分が凡人であると思うならば、情勢に応じて変化できる柔軟性を持つことが大切である。
七、軍争篇
1 迂をもって直となす
孫子曰く、およそ兵を用うるの法、将、命を君に受け、軍を合し衆を聚め、和を交えて舎するに、軍争より難きはなし。軍争の難きは、迂をもって直となし、患をもって利となすにあり。故にその道を迂にして、これを誘うに利をもってなし、人に後れて発し、人に先んじて至る。これ迂直の計を知る者なり。
戦争の段取りは、まず将軍が君主の命を受けて軍を編成し、ついで陣を構えて敵と対峙するわけであるが、そのなかでもっともむずかしいのは、勝利の条件をつくりだすことである。
勝利の条件をつくりだすことのむずかしさは、「わざと遠回りをして敵を安心させ、敵よりも早く目的地に達し」、「不利を有利に変える」ところにある。
たとえば、回り道を迂回しながら、利で誘って敵の出足をとめ、敵よりおくれて出発しながら先に到着する。これが「迂直の計」―――すなわち迂回しておいて速やかに目的を達する計謀である。
【仕事・職場で】
相手より先んじる、相手より有利になるための方法のひとつに、相手の油断を誘うことがある。油断させるには、相手が有利だと思わせればよくて、実態はどうでも良い。油断させることができれば、実際の情況が自分に不利でも、その隙に相手に追い付き、追い越すことが可能となる。
★相手を油断させるために、自分の情報の全容を相手につかませてはならない。
★相手を油断させるために、つかませたい情報を相手に見えるようにする。その虚実を明確にせず、相手が実だと思って情報をつかめば成功である。
★たとえば、「リンゴを食べたい」と表明し、八百屋へ向かうとする。それを受けて相手が「本当はリンゴかどうか分からないが、空腹なのだろう」と思えば成功である。争わずして「八百屋の先の文具店で、エンピツを買う」ことができる。
2 百里にして利を争えば……
故に軍争は利たり、軍争は危たり。軍を挙げて利を争えば則ち及ばず、軍を委てて利を争えば則ち輜重捐てらる。この故に甲を巻きて趨り、日夜処らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争えば、則ち三将軍を擒にせらる。勁き者は先だち、疲るる者は後れ、その法、十にして一至る。五十里にして利を争えば、則ち上将軍を蹶す。その法、半ば至る。三十里にして利を争えば則ち三分の二至る。この故に、軍、輜重なければ則ち亡び、糧食なければ則ち亡び、委積なければ則ち亡ぶ。
勝利の条件をつくり出すことができれば、戦局の転回に有利となるが、しかし、それには危険も含まれている。たとえば、重装備のまま全軍をあげて戦場に投入しようとすれば、敵の動きにおくれをとるし、逆に、軽装備で急行しようとすれば、輜重(輸送)部隊が後方にとりのこされてしまう。
したがって、昼夜兼行の急行軍で戦場におもむけば、その損害たるや甚大である。すなわち百里の遠征であれば、上軍、中軍、下軍の三将軍がすべて捕虜にされてしまう。なぜなら強い兵士だけが先になり、弱い兵士はとりのこされて、十分の一の兵力がやっと戦場に到着して戦うことになるからである。また、五十里の遠征であれば、兵力の半分しか戦場に到着しないから、上軍(先鋒部隊)の将軍が討ちとられてしまう。同じく三十里の遠征であれば、三分の二の兵力で戦う羽目になる。
これで明らかなように、輜重(装備)、糧秣、その他の戦略物資を欠けば、軍の作戦行動は失敗に終わるのである。
【仕事・職場で】
何事も、備えが無ければ継続することは困難になる。それが、長期になればなるほど、である。物理面、経済面、身体面、精神面で、事前の準備をどれだけできているかで、継続能力の制限が変わる。
だからと言って、準備に時間をかけすぎれば、実行する時間を削ぐことになり、出遅れ、失敗に終わることにもなりかねない。
★作業をするにあたって、自分の心身の不調を含めたイレギュラーが起こることを考慮すべきである。その前提で準備・計画をすれば、より安全に結果を迎えることができる。
★備えあれば患いなし。事前準備・事前計画によって、道具や原資を準備するべきである。いきあたりばったりでは、調達できないときに、作業はストップすることになる。
★長期間の作業フローでは、節目節目で作業と情況が同時進行できているかどうかをチェックすべきである。どちらかが先走り、どちらかが遅れているならば、作業は遠からずストップする羽目になる。
3 兵は詐を以って立つ
故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林、険阻、沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。故に兵は詐を以って立ち、利を以って動き、分合を以って変をなす者なり。
諸外国の動向を察知していなければ、外交交渉を成功させることはできない。敵国の山川、森林、沼沢などの地形を知らなければ、軍を追撃させることはできない。また、道案内を用いなければ、地の利を得ることはできない。作戦行動の根本は、敵をあざむくことである。有利な情況のもとに行動し、兵力を分散、集中させ、情況に対応して変化しなければならない。
【仕事・職場で】
職場でだまし合いをするわけにはいかないが、どう思うかは個人の主観によることなので、それを利用しない手はない。そこで相手に、「こう思ってくれれば好都合」となるように、情報を取ってもらえば良いのである。
その前提として、相手に関する情報を自分がつかんでおく必要がある。相手の性格や指向を把握していなければ、「どの情報をつかませれば、どう思ってくれるか」を予測することができないからである。
★やたらと仕事をふってくる相手には、自分の持っている仕事量の大きさを見せつければ良い。たとえば、上司に作業の経過報告・結果報告を節目ごとにキチンと行ない、相談もしっかり乗ってもらうことである。その姿を仕事をふってくる相手も見てくれて、仕事量を感じ取ってもらえれば、無茶を言わせない土台は作れる。
★「一所懸命に仕事をしているのに、分かってもらえない」と悩んでいるとき、それは周りをあざむいてしまっている可能性が高い。つまり、自分の仕事が周りに理解されにくい行動をしてしまっているのである。ガマン強く、マジメな人ほど、自分の仕事を周りにアピールすることが下手なものである。正当な評価を受けたいと思うなら、上手なアピールをしなければならない。まずは、上司への報連相(報告・連絡・相談)を節目ごとに行なうことから始めてみよう。
4 疾きこと風のごとし
故にその疾きこと風のごとく、その徐かなること林のごとく、侵掠すること火のごとく、動かざること山のごとく、知りがたきこと陰のごとく、動くこと雷霆のごとし。郷を掠むるには衆を分かち、地を廓むるには利を分かち、権を懸けて動く。迂直の計を先知する者は勝つ。これ軍争の法なり。
したがって作戦行動にさいしては、疾風のように行動するかと思えば、林のように静まりかえる。燃えさかる火のように襲撃するかと思えば、山のごとく微動だにしない。暗闇に身をひそめたかと思えば、万雷のようにとどろきわたる。兵士を分遣しては村落を襲い、守備隊をおいて占領地の拡大をはかり、的確な情況判断にもとづいて行動する。
要するに、敵に先んじて「迂直の計」を用いれば、必ず勝つ。これが勝利する条件である。
【仕事・職場で】
武田信玄の「風林火山」はここから来ている。正しくは「風林火山陰雷」。
作業をするうえで、参考にしたい。作業をすると決まったら、素早く、集中して取り掛かる。休憩する時は、静かに心身を癒すことに集中する。このようにすれば、無駄な時間を省いた、効率の良い作業をすすめることができる。ながら仕事、ダラダラ作業、休むべき時間に休まない…こういうことが効率を悪くする。
★準備を整えたら、作業に全集中しよう。
★休憩時間もしっかり取ろう。心身を休めることも、仕事の一環である。
★働く日、休む日を、しっかり分けよう。休む日に何をしようかと考えすぎないように。
5 衆を用いるの法
軍政に曰く、言えども相聞えず、故に金鼓をつくる。視せども相見えず、故に旌旗をつくる、と。それ金鼓、旌旗は人の耳目を一にする所以なり。人すでに専一なれば、則ち勇者も独り進むことを得ず、怯者も独り退くことを得ず。これ衆を用うるの法なり。故に夜戦に火鼓多く昼戦に旌旗多きは、人の耳目を変うる所以なり。
古代の兵書に、
「口で号令をかけるだけでは聞きとれないので、金鼓を使用する。手で指図するだけでは見分けることができないので、旌旗を使用する」
とある。
金鼓や旌旗は、兵士の耳目を一つにするためのものである。これで兵士を統率すれば、勇猛な者でも独断で抜け駆けすることができず、臆病な者でも勝手に逃げ出すことができない。これが大軍を動かす秘訣である。
とくに、夜戦ではかがり火と太鼓をふやし、昼戦では旌旗を多用して、部隊間の連絡を密にしなければならない。
【仕事・職場で】
チームを組んで作業をしていても、それぞれバラバラに作業をしているだけでは一人の集まりにすぎない。作業の早い人は早いし、遅い人は遅い。いくら良いシステムを作ったとしても、システムに個々人をつないでいくリーダーがいなければ機能しない。
一人の集まりではなく、チームとして機能するためには「号令」「リード」する存在が必要なのである。チームとしての機能を高めたいのであれば、システムを作動させるリーダーの存在が欠かせないのである。
★自分だけが頑張っている気がする。隣であからさまにサボっている。これらはチームを管理・統率するリーダーが不在だから起こることであり、リーダーがいないと頑張れないタイプの性格から感じることである。
★リーダーに管理、決定、判断、評価、激励されないと、頑張れない人はいる。むしろ、それが普通である。だからこそ、チームをチームとして機能させるためにはリーダーが必要なのである。
★リーダー不在でも頑張ることができる方法の一つは、自分の中にリーダーを作ることである。自分を管理し、引き上げていくのは自分。自分の努力を評価し、褒めるのも自分。こうであれば、外部からの管理・評価によらないので、内なる自分次第で常に高いパフォーマンスを発揮することができるようになる。
6 気、心、力、変
故に三軍は気を奪うべく、将軍は心を奪うべし。この故に朝の気は鋭、昼の気は惰、暮の気は帰。故に善く兵を用うる者は、その鋭気を避けてその惰帰を撃つ。これ気を治むるものなり。治をもって乱を待ち、静をもって譁を待つ。これ心を治むるものなり。近きをもって遠きを待ち、佚をもって労を待ち、飽をもって饑を待つ。これ力を治むるものなり。正正の旗を邀うることなく、堂堂の陣を撃つことなし。これ変を治むるものなり。
かくて、敵軍の志気を阻喪させ、敵将の心を攪乱することができるのである。
そもそも、人の気力は、朝は旺盛であるが、昼になるとだれ、夕方には休息を求めるものだ。軍の志気もそれと同じである。それ故、戦上手は、敵の志気が旺盛なうちは戦いを避け、志気の衰えたところを撃つ。「気」を掌握するとは、これをいうのである。
また、味方の態勢をととのえて敵の乱れを待ち、じっと鳴りをひそめて敵の仕掛けを待つ。「心」を掌握するとは、これをいうのである。
さらに、有利な場所に布陣して遠来の敵を待ち、十分な休息をとって敵の疲れを待ち、腹いっぱい食って敵の飢えを待つ。「力」を掌握するとは、これをいうのである。
もう一つ、隊伍をととのえて進撃してくる敵、強大な陣を構えている敵とは、正面衝突を避ける。「変」を掌握するとは、これをいうのである。
【仕事・職場で】
旺盛な議論も、長引けば中だるみするものである。また、ヒートアップしている人は論争でまくしたててくるが、冷静ではないから整合性がとれていなかったり、矛盾したことを言ってしまうことは多い。さらに、話すという行為は意外に体力を消耗するものであり、話し続けていれば段々と疲れてくるものである。だから議論や論争になったら、まず相手に話したいだけ話させると良い。これによって「士気」「心理」「話の流れ」を掌握するのである。
もう一つ、相手が正論の理詰めで迫ってくるならば、同じ土俵で真正面から議論することは避けるべきである。自分の話術が相手より上なら良いが、そうでないなら論破されてしまうからである。理論を解き明かして対抗するのではなく、結論さえ自分の主張ができれば良いのである。
★議論・論争は、後出しジャンケンが有利である。まずは相手に話させよう。
★話術が上の相手とは、議論・論争を避けよう。どうしても論争になるのなら、最後の結論だけをつかまえて、自分の主張を通して終わらせよう。
7 窮寇には迫ることなかれ
故に兵を用いるの法は、高陵には向かうことなかれ、丘を背にするには逆うことなかれ、佯り北ぐるには従うことなかれ、鋭卒には攻むることなかれ、餌兵には食らうことなかれ、帰師には遏むることなかれ、囲師には必ず闕き、窮寇には迫ることなかれ。これ兵を用うるの法なり。
したがって、戦闘にさいしては次の原則を守らなければならない。
一、高地に布陣した敵を攻撃してはならない。
二、丘を背にした敵を攻撃してはならない。
三、わざと逃げる敵を追撃してはならない。
四、戦意旺盛な敵を攻撃してはならない。
五、おとりの敵兵にとびついてはならない。
六、帰国途上の敵のまえにたちふさがってはならない。
七、敵を包囲したら必ず逃げ道を開けておかなければならない。
八、窮地に追いこんだ敵に攻撃をしかけてはならない。
これが戦闘の原則である。
【仕事・職場で】
論争で気を付けるべきことを学べる。読み替えれば、次のように論争で使える。
一と二、相手に有利な条件で論争に乗らない
三と五、見え見えの論理展開に乗って、相手がのぞむ言葉を出さない。
四、相手が気力十分なうちは論争に乗らない。
六、相手が論争を終わらせたいようであれば、長引かせない。
七と八、相手が返答に窮するほど追い詰めたり、何も言えない情況にはしない。
★「窮鼠猫を嚙む」である。どんな相手でも、何も言えなくなるほど追い詰めると、支離滅裂でも何でも、なりふり構わず反撃してくることがある。そうなると説得は不可能になる。
★相手の話術に引っかかると、揚げ足を取られる。そうなると、論理的な議論は不可能になる。
★議論・論争の目的は論破することではなく、自分の要求を満たすことである。そのためには、相手の利益となる地点も用意してあげると上手くいく。
八 九変篇
1 君命に受けざる所あり
孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、将、命を君に受け、軍を合し衆を聚め、圮地には舎ることなく、衢地には交わり合し、絶地には留まることなく、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。塗に由らざる所あり、軍に撃たざる所あり。城に攻めざる所あり。地に争わざる所あり。君命に受けざる所あり。
将帥は君主の命を受けて軍を編成し、戦場に向かうのであるが、戦場にあっては、次のことに注意しなければならない。
一、「圮地」すなわち行軍の困難なところには、軍を駐屯させてはならない。
二、「衢地」すなわち諸外国の勢力が浸透しあっているところでは、外交交渉に重きをおく。
三、「絶地」すなわち敵領内深く進攻したところには、長くとどまってはならない。
四、「囲地」すなわち敵の重囲におちて進むも退くもままならぬときは、たくみな計略を用いて脱出をはかる。
五、「死地」すなわち絶体絶命の危機におちいったときは、勇戦あるのみ。
以上の五原則は、別の角度から見れば、次のようにもまとめることができる。
一、道には、通ってはならない道もある。
二、敵には、攻撃してはならない敵もある。
三、城には、攻めてはならない城もある。
四、土地には、奪ってはならない土地もある。
五、君命には、従ってはならない君命もある。
【仕事・職場で】
作業でも議論でも、ゴールは自分の目的を達成することにある。注意したいことは、ゴールに向かって一直線に進むことが、必ずしも最短距離ではないことがあるということである。
作業でたとえれば、大量の作業だからと急いで作業にとりかかるよりも、作業開始は遅れるが下準備を整えてから作業をした方が、結果として早く、正確で丁寧に、作業を終えることができる。
議論でたとえれば、桃が食べ物であることを理解してもらいたいとする。「桃は皮をむく食べ物である」と説明すれば、相手はそのように食べるであろう。しかし、慣れてきた相手は、皮をむいた桃を野菜炒めに入れてしまった。これは、「桃は果物である」という説明をもしなかったために起こることである。
なお、「君命には、従ってはならない君命もある。」とは、まさにその通りなのだが、実際には職場で上司の命令に背くことは難しい。ただ、従うべきでない命令をされたときは、少なくとも「その命令の問題点と予想される結果」を明確に提案することだけはしておくべきである。それでも命令を曲げないのであれば、結果は命令した者の責任である。
ちなみに、法や公序良俗に反する命令は、絶対に従ってはならないことは言うまでもない。
★結論を理解してもらうためには、結論の他に別件と思える説明や、伏線に触れるほうが、結論を受け入れてもらいやすくなることは多い。
★命令に従うことで、その命令が目指す目的が達成できないと予想できるときは、その命令の問題点と予想される結果および代替案を提案すべきである。
★法や公序良俗に反する命令は「そうとは知らずに従った」と言っても無駄である。その命令に従えば同罪に付される。被害者を出さないため、自分を守るために、その命令には絶対に従ってはならない。
2 九変の術を知らざる者は……
故に将、九変の利に通ずれば、兵を用うるを知る。将、九変の利に通ぜざれば、地形を知るといえども、地の利を得ること能わず。兵を治めて九変の術を知らざれば、五利を知るといえども、人の用を得ること能わず。
したがって、臨機応変の効果に精通している将帥だけが、軍を率いる資格がある。これに精通していなければ、たとい戦場の地形を掌握していたとしても、地の利を活かすことができない。
また、軍を率いながら臨機応変の戦略を知らなければ、かりに先の五原則をわきまえていたとしても、兵卒に存分の働きをさせることができない。
【仕事・職場で】
臨機応変な対応が大切ということである。
ただし、出たところ勝負、いきあたりばったり、とは違う。それらは精通のしようがない。
しかし、原則を身に付け、自分のものとして「使える」ようにしてあるならば、その応用とミックスして対応することには精通することができる。これこそを臨機応変というのである。
たとえば、作業に精通すれば、まず作業の全体をながめることで、事前の下準備をすべきなのか、そのまま作業にとりかかるべきかを判断する速度が上がる。すなわち、臨機応変な対応に精通していくのである。
★作業は事前準備をすることが原則だが、まず作業の全体を見渡してみて、時には事前準備なしでそのまま作業にとりかかるほうが早い場合もある。臨機応変に判断できるようになるためには、原則を身に付け、経験を積んでその分野に精通することが必要である。
★出たところ勝負、いきあたりばったりは、臨機応変とは違うので間違えないように。
★議論は臨機応変の連続である。だから、原則を知るだけではなく、使えるように身に付ける必要があり、それを応用できるトレーニングも必要である。日頃から良く学び、良くイメージトレーニングをしているかどうかで、有事に対応できる力が変わる。
3 智者の慮は必ず利害に雑う
この故に、智者の慮は必ず利害に雑う。利に雑えて、しかして務め信ぶべきなり。害に雑えて、しかして患い解くべきなり。この故に、諸侯を屈するものは害を以ってし、諸侯を役するものは業を以ってし、諸侯を趨らすものは利を以ってす。
智者は、必ず利益と損失の両面から物事を考える。すなわち、利益を考えるときには、損失の面も考慮にいれる。そうすれば、物事は順調に進展する。逆に、損失をこうむったときには、それによって受ける利益の面も考慮にいれる。そうすれば、無用な心配をしないですむ。
それ故、敵国を屈服させるには損失を強要し、国力を消耗させるにはわざと事を起こして疲れさせ、味方にだきこむには利益で誘うのである。
【仕事・職場で】
利害は表裏一体と思うこと。作業を費やさずに結果は出ない。説明を尽くさずに理解は得られない。当たり前のように聞こえるかもしれないが、自分の利益しか考えない人は多い。自分が利益を欲するなら、その対価は何とするのかを考えなければいけない。相手に損をさせるなら、相手の利益には何をもって報いるべきかを考えなければいけない。利益なしの損失のみで良い…という人は少ないからである。
ただ、注意してほしいのは、利害関係で動く人は、利害がなければ動かない人と認識されてしまうことである。人は利害をこえて、たとえ損失だけであっても動くことはある。むしろ、そういう時の人間の力は計り知れないものがある。厳密な意味で、その人にとって全く利益のない行動というのは無いが、愛や友情に代表されるものは、無償の行為に最も近いものである。
できるだけ、後者に基づいて関係を築いたり行動したいとは思うが、世知辛い世の中では、なかなか難しいという情況であろう。
★利益と損失は表裏一体と考えよう。利益だけ得ることはできないし、損失のみで終わることもない。
★損失からは、少なくとも学びを得ることができる。失敗を繰り返さない貴重な経験が得られるのである。
★相手に何かを要求するのであれば、その対価を提供できているかを考えなければならない。対人関係に後払いは無い。何かしてほしいと思うのなら、まず自分が相手に利益を提供しよう。その積み重ねで初めて動いてもらえる。
★要求しかせず、決して提供してくれない相手とは関係を断ち切ろう。世の中には、利益は受けるが、損失は絶対に受け容れない人はいる。そういう相手は、どんなに尽くしても時間と労力の無駄である。
4 吾の以って待つ有ることを恃む
故に兵を用うるの法、その来たらざるを恃むことなく、吾の以って待つ有ることを恃むなり。その攻めざるを恃むことなく、吾の攻むべからざる所有るを恃むなり。
したがって、戦争においては、敵の来襲がないことに期待をかけるのではなく、敵に来襲を断念させるような、わが備えを頼みとするのである。敵の攻撃がないことに期待をかけるのではなく、敵に攻撃の隙を与えないような、わが守りを頼みとするのである。
【仕事・職場で】
表現が悪いことはご容赦いただきたい前提であるが、操作しやすいのは相手だろうか?自分だろうか?もちろん、自分自身である。
相手に「こうあってほしい」「ああしてほしい」と期待しても、そのようになってもらうのは大変なことだし、まったくそうならないことの方がむしろ多い。
それに対して、自分自身を自分の望む方向へ進めるように努力することの方が、はるかに容易である。まずは、自ら努力をし、自分を強くすることが肝要である。
★変えられるのは自分と未来。変えられないのは人と過去。
★人に過度の期待はしない。人の成果は、それが少なくても素直に感謝するべき。なぜなら、その到達がその人にとっての総合的な精一杯だからである。
★なんでも、自分の思い通りに動くと思ってはいけない。むしろ、思い通りにならない。思い通りにならない前提に立てば、比較的思い通りになる自分を鍛える方向になる。
5 必死は殺され、必生は虜にさる
故に将に五危有り。必死は殺さるべきなり、必生は虜にさるべきなり、忿速は侮らるべきなり、廉潔は辱めらるべきなり、愛民は煩わさるべきなり。およそこの五者は将の過ちなり、兵を用うるの災いなり。軍を覆し将を殺すは必ず五危を以ってす。察せざるべからず。
将帥には、おちいりやすい五つの危険がある。
その一は、いたずらに必死になることである。これでは、討死をとげるのがおちだ。
その二は、なんとか助かろうとあがくことである。これでは、捕虜になるのがおちだ。
その三は、短気で怒りっぽいことである。これでは、みすみす敵の術中にはまってしまう。
その四は、清廉潔白である。これでは、敵の挑発に乗ってしまう。
その五は、民衆への思いやりを持ちすぎることである。これでは、神経がまいってしまう。
以上の五項目は、将帥のおちいりやすい危険であり、戦争遂行のさまたげとなるものだ。軍を壊滅させ、将帥を死に追いやるのは、必ずこの五つの危険である。十分に考慮しなければならない。
【仕事・職場で】
何事もバランスが大切である。
必死になること、解決を目指すこと、感情に裏表がないこと、清廉潔白であること、思いやりがあること。いずれも決して悪いことなどではない。しかし、いずれも度を過ぎたり、情況を冷静に見極めることができていないと、悪い部分が前面に出ることになる。
それら悪い面の例を挙げておくので、自分に置き換えたらどう作用するのかを考え、そうならないよう日頃から注意したい。
★必死になること:必死になるあまり冷静な判断力を失い、やり遂げることをゴールにしてしまう。ゴールはやり遂げることではなく、目的を達成することだと思い出そう。
★解決を目指すこと:なんとしてでも解決しようとするあまり、不可能な到達点を目指し続けることになりかねない。不可能なのであれば、いかに早く、最小限の被害にとどめられるかが着地点となる。
★感情に裏表がない:悪く言えば、短気、大人げない、社交辞令が言えない・できない、ということである。これでは、無用な争いを生み、スマートなチームワークを妨げる。また、波打つ精神状態では、作業も議論も万全のパフォーマンスを発揮することができない。
★清廉潔白であること:過度な清廉潔白は、人の欠点や誤りを許せなくなる。そして、自分自身に対しても許せないことが多くなり、物事をすすめる障害を自分で作ることになる。完璧な人間などいないし、ましてや自分は完璧から程遠いことを受け容れるべきである。
★思いやりがあること:人を思うあまりに自分を犠牲にしたり、人の痛みに共感するあまり、最悪の場合は心が病んでしまう。心の病は心の強さに等しいものではない。どんなに大きなコップでも、その容量を超える水を注げば必ずあふれてしまう。心も同じである。どんなに強靭な精神であっても、その許容量を超えるストレスを負えば、病んでしまう可能性は誰にでもあることを理解しよう。
九、行軍篇
1 地形に応じた四つの戦法
孫子曰く、およそ軍を処き敵を相るに、山を絶ゆれば谷に依り、生を視て高きに処り、隆きに戦いて登ることなかれ。これ山に処るの軍なり。水を絶れば必ず水に遠ざかり、客、水を絶りて来たらば、これを水の内に迎うるなく、半ば済らしめてこれを撃つは利なり。戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うることなかれ。生を視て高きに処り、水流を迎うることなかれ。これ水上に処るの軍なり。斥沢を絶ゆれば、ただ亟かに去りて留まることなかれ。もし軍を斥沢の中に交うれば、必ず水草に依りて衆樹を背にせよ。これ斥沢に処るの軍なり。平陸には易きに処りて高きを右背にし、死を前にして生を後にせよ。これ平陸に処るの軍なり。およそこの四軍の利は、黄帝の四帝に勝ちし所以なり。
次に、地形に応じた戦法と敵情の観察法について述べよう。
まず、地形に応じた戦法であるが、
一、山岳地帯で戦う場合―――
山地を行軍するときは谷沿いに進み、視界の開けた高所に布陣する。敵が高所に布陣している場合は、こちらから攻め寄せてはならない。
二、河川地帯で戦う場合―――
河を渡るときは、渡りおえたら、すみやかに河岸から遠ざかる。敵が河を渡って攻め寄せてきたときは、水中で迎え撃ってはならない。半数が渡りおえたところで攻撃をかけるのが、効果的である。ただし、あまり河岸に接近してはならない。また、岸に布陣するときは、視界の開けた高所を選ぶ。河下に布陣して河上の敵と戦ってはならない。
三、湿地帯で戦う場合―――
湿地帯を移動するときは、すみやかに通過すべきである。やむなく湿地帯で戦うときは、水と茂みを占拠し、木々を背にして戦わなければならない。
四、平地で戦う場合―――
背後に高地をひかえ、前面に低地がひろがる平坦な地に布陣する。
以上が、地形に応じた有利な戦法である。むかし、黄帝が天下を統一できたのは、この戦法を採用したからにほかならない。
【仕事・職場で】
戦争をするわけではないので、作業や議論に応用したい。学ぶべきはシンプルで、今置かれている情況が自分に不利なのであれば、そこに留まらず、すみやかに脱出するべきであるということ。自分が有利な情況で物事をすすめるべきであるということ。これだけである。難しいのは、有利不利の情況判断と、慢心せずに情況に対応し続けることである。どれも当たり前ではあるが、実践することが難しい。
★冷静に情況判断をしなければ、有利不利を見誤る。まず冷静になろう。
★相手が有利、自分が不利ならば、それは攻めてはいけない情況である。
★作業をする環境が整ってないうちに作業開始することは避けるべきである。どうしても作業を開始しなければならないのなら、現状で少しでも便利の良いように工夫するしかない。
2 軍は高きを好みて下きを悪む
およそ軍は高きを好みて下きを悪み、陽を貴びて陰を賤しむ。生を養いて実に処り、軍に百疾なし。これを必勝と謂う。丘陵堤防には必ずその陽に処りてこれを右背にす。これ兵の利、地の助けなり。上に雨ふりて水沫至らば、渉らんと欲する者は、その定まるを待て。
軍を布陣させるには、低地を避けて高地を選ばなければならない。また、湿った日陰より日当たりの良い場所を選ばなければならない。そうすれば、兵士の健康管理に有利であり、疾病の発生を防ぐことができる。これが必勝の条件である。
丘陵や堤防に布陣する場合は、必ずその東南の地を選ばなければならない。そうすれば、地の利を得て、作戦を有利に展開することができる。
渡河するときに、もし上流に雨が降って水嵩が増していたら、水勢が落ち着くまで待たなければならない。
【仕事・職場で】
定石のある物事については、あらかじめ定石をしっておくことが有利である。
論議で言えば、心理学であったり、詭弁論理学であったり、交渉術や会話術である。あらかじめ学んでおくことで、自分を有利におくことができ、不利におかれることを避けることができる。
作業で言えば、表計算ソフトは計算に向いており、文書作成ソフトは文書編集に向いていることを知っていれば、不向きなソフトで作業するようなことを回避できる。
当たり前に聞こえるなら、その知識が自分のものになっているということである。そうなっていなければ、いざ事が起こったときに、自分にとってベストな選択をすることができない。
★事が起こってからでは、冷静に適切な選択をすることができない。日頃から自分に知識をたくわえておこう。
★たくわえた知識が自分のものになっているかどうかを、日頃からイメージトレーニングで検証しよう。知っていることと、実際に使えることは、全く違う。
3 近づいてはならぬ地形
およそ地に絶澗、天井、天牢、天羅、天陥、天隙有らば、必ず亟かにこれを去りて近づくことなかれ。吾はこれに遠ざかり、敵はこれに近づかしめよ。吾はこれを迎え、敵にはこれを背にせしめよ。軍行に険阻、潢井、葭葦、山林、蘙薈、有らば、必ず謹んでこれを覆索せよ。これ伏姦の処る所なり。
次の地形からはすみやかに立ち去り、けっして近づいてはならぬ。
「絶澗」―――絶壁の切り立つ谷間
「天井」―――深く落ち込んだ窪地
「天牢」―――三方が険阻で、脱出困難な所
「天羅」―――草木が密生し、行動困難な所
「天陥」―――湿潤の低地で、通行困難な所
「天隙」―――山間部のでこぼこした所
このような所を発見したら、こちらからは近づかず、敵の方から近づくようにしむける。つまり、ここに向かって敵を追いこむのである。
行軍中、険阻な地形、池や窪地、アシやヨシの原、森林、草むらなどを見たら、必ず入念に探索しなければならない。なぜなら、そのような所には、敵の伏兵が潜んでいるからである。
【仕事・職場で】
不利な情況、不利な環境がどのようなものであるのかを、あらかじめ知っておけば不利を回避できる。
作業であれば、環境や道具がどのような状態で自分に与えられているかを把握し、その欠点を知っておくことである。論議であれば、自分に対して相手の強制力がどの程度あるのか、誰を相手にはしないほうが良いのかを知っておくことである。
そうすれば、いざ事が起こったときに、自分は不利を回避しつつ、相手をその情況に誘い込むこともできる。
当たり前に聞こえるなら、その物事についての不利を十分に把握しているということである。そうなっていなければ、いざ事が起こったときに、上手く運んでいたのに思わぬ落とし穴や行き詰まりに出くわすことになる。
★話にならない相手、最後は権力でねじ伏せてくる相手とは、論議しても無駄である。したがって、あらかじめそういう相手を選別しておき、なるべく関わらないことである。
★財政上やスペースの問題で道具が不足しているのならば、あらかじめ不足している道具を把握しておくことで、財政上やスペースの問題が解消されたときに即座に不足を提案できる。その結果、自分の作業環境が良くなっていく。
★自分の不利を把握せず、有利になることばかりを追い求めるのは足元をすくわれかねない。どんなに有利になっても、最後に不利を突き付けられてしまえば、負けるからである。
4 近くして静かなるはその険を恃む
敵近くして静かなるは、その険を恃めばなり。遠くして戦いを挑むは、人の進むを欲するなり。その居る所の易なるは、利なればなり。衆樹の動くは、来たるなり。衆草の障多きは、疑なり。鳥立つは、伏なり。獣駭くは、覆なり。塵高くして鋭きは、車の来たるなり。卑くして広きは、徒の来たるなり。散じて条達するは、樵採するなり。少くして往来するは、軍を営むなり。
敵が味方の側近く接近しながら静まりかえっているのは、険阻な地形を頼みにしているのである。
敵が遠方に布陣しながらしきりに挑発してくるのは、こちらを誘い出そうとしているのである。
敵が険阻な地形を捨てて平坦な地に布陣しているのは、そこになんらかの利点を見い出しているのである。
木々が揺れ動いているのは、敵が進攻してきたしるしである。
草むらに仕掛けがあるのは、こちらの動きを牽制しようとしているのである。
鳥が飛び立つのは、伏兵がいる証拠である。
獣が驚いて走り出るのは、奇襲部隊が来襲してくるのである。
土埃が高くまっすぐに舞い上るのは、戦車が進攻してくるのである。
土埃が低く一面に舞い上るのは、歩兵部隊が進攻してくるのである。
土埃がそちこちで細かいすじのように舞い上るのは、敵兵が薪をとっているのである。
土埃がかすかに移動しながら舞い上るのは、敵が宿営の準備をしているのである。
【仕事・職場で】
事象には前ぶれ、兆しがある場合がある。ここでは物理的な現象を、物事の前ぶれとして捉えることに着目している。
身の回りで、突然、日常とは違う物理的変化が起きていたら、それが何の兆しなのかを考えることは大切である。もしそこから、予測できることがあれば、備えることができるからである。
★普段たいして仲が良くない人が、突然接近してきたら注意すべきである。派閥争いで組み入れようとしているかもしれない。そうと知らずに仲良くすれば、敵派閥から疎まれ、利用価値がなくなれば組み込まれた派閥からも疎まれる。
★ハードディスクからの異音、モニターのちらつきは、故障のサインである。物事の仕組みやシステムを知っておくことは、兆しを知るために必要なことである。
★低迷している会社が突如理由もなく財政的に潤った帳簿になっていたら、危険信号かもしれない。借入しやすくするための最後の手段に出ている可能性があるからである。
★いつも散らかっているデスクが突然キレイになっていたら、その人は異動するか、退職するかもしれない。心機一転や気まぐれの可能性もあるが、その人との付き合い方は慎重に、良好にしておくべきである。
5 辞卑くして備えを益すは進なり
辞卑くして備えを益すは、進むなり。辞彊くして進駆するは、退くなり。軽車先ず出でてその側に居るは、陣するなり。約なくして和を請うは、謀るなり。奔走して兵車を陳ぬるは、期するなり。半進半退するは、誘うなり。
敵の軍使がへりくだった口上を述べながら、一方で、着々と守りを固めているのは、実は進攻の準備にかかっているのである。
逆に、軍使の口上が強気の一点張りで、いまにも進攻の構えを見せるのは、実は退却の準備にかかっているのである。
戦車が前面に出てきて両翼を固めているのは、陣地の構築にかかっているのである。対陣中、突如として講和を申し入れてくるのは、なんらかの計略があってのことである。
敵陣の動きがあわただしく、しきりに戦車を連ねているのは、決戦を期しているのである。
敵が進んでは退き、退いては進むのは、こちらを誘い出そうとしているのである。
【仕事・職場で】
詐をもって虚をついてくるのは、つまり、敵の裏をついてくるのは何も自分の専売特許ではなく、相手も同じであると考えるべきである。相手の言っていることをストレートに受け止めるべきか、裏を読んで応じるべきか、臨機応変な対応が常に求められるので、油断はできない。
★自分は平凡以下であり、非凡ではなく、ましてや天才でもない。それを認めることが、用心深さの始まりである。慢心は失敗のもとである。
★相手もこちらの情報をつかみ、裏をかこうとしている可能性があると考えることが、用心深さへつながる。ただし、これが行き過ぎると懐疑心でいっぱいになり病んでしまうので、あくまで可能性として選択肢を広げるにとどめたい。
★相手の情報をより多くつかみ、相手の心理をより把握している方が勝つ。常日頃から情報収集しているか否かが、有事に活かされるのである。
6 利を見て進まざるは労るるなり
杖つきて立つは、飢うるなり。汲みて先ず飲むは、渇するなり。利を見て進まざるは、労るるなり。鳥の集まるは、虚しきなり。夜呼ぶは、恐るるなり。軍擾るるは、将重からざるなり。旌旗動くは、乱るるなり。吏怒るは、倦みたるなり。馬を殺して肉食するは、軍に糧なきなり。軍、缻を懸くることなくその舎に返らざるは、窮寇なり。諄諄翕翕として徐に人と言うは、衆を失うなり。
敵兵が杖にすがって歩いているのは、食料不足におちいっているのである。
水汲みに出て、本人がまっさきに水を飲むのは、水不足におちいっているのである。
有利なことがわかっているのに進攻しようとしないのは、疲労しているのである。
敵陣の上に鳥が群がっているのは、すでに軍をひきはらっているのである。
夜、大声で呼びかわすのは、恐怖にかられているのである。
軍に統制を欠いているのは、将軍が無能で威令が行なわれていないのである。
旗指物が揺れ動いているのは、将兵に動揺が起こっているのである。
軍幹部がむやみに部下をどなりちらすのは、戦いに疲れているのである。
馬を殺して食らうのは、兵糧が底をついているのである。
将兵が炊事道具をとりかたづけて兵営の外にたむろしているのは、追いつめられて最後の決戦をいどもうとしているのである。
将軍がぼそぼそと小声で部下に語りかけるのは、部下の信頼を失っているのである。
【仕事・職場で】
物事には因果関係があるということである。問題というのは、対症療法では根本解決には至らない。今起きている現象の根本を解き明かし、その根本を解決することが、現象の解消となり、問題を繰り返さないことにもつながる。それは時間と労力、費用の節減となる。
★争わないですませるためには、争いの原因を見極め、解決することである。
★業務でイレギュラーが起こったら、そのイレギュラーの法則性を探り理解しておくことで、同様のイレギュラーが再度起きたときにスムーズな対応ができるようになる。よって、イレギュラーはイレギュラーではなくなる。
★論議がまとまらないのは、核心について論議せず、表層について論議しているからである。論議が堂々巡りになっているのなら、表層にとらわれて核心を解く材料がそろっていない状態で論議しているのである。論議が平行線になっており、核心が相反するのなら、それ以上論議をしても時間の無駄である。
7 しばしば賞するは窘しむなり
数賞するは、窘しむなり。数罰するは、困しむなり。先に暴にして後にその衆を畏るるは、不精の至りなり。来たりて委謝するは、休息を欲するなり。兵怒りて相迎え、久しくして合せず、また相去らざるは、必ず謹みてこれを察せよ。
将軍がやたらに賞状や賞金を乱発するのは、行き詰まっている証拠である。
逆に、しきりに罰を科すのも、行き詰まっているしるしである。
また、部下をどなりちらしておいて、あとで離反を気づかうのは、みずからの不明をさらけだしているのである。
敵がわざわざ軍使を派遣して挨拶してくるのは、休養を欲して時間かせぎをしているのである。
敵軍がたけりたって攻め寄せてきながら、いざ迎え撃つと戦おうとせず、さればといって引きあげもしないのは、何か計略あってのことだ。そんなときは、慎重に敵の意図をさぐらなければならない。
【仕事・職場で】
人を動かすというのは、大変に苦労をすることである。だから会社の人事については、あれこれと仕組みを考えて、社員のヤル気と能力を引き出そうとする。しかし無能な会社は、理にかなわない賞や罰を与えてくる。そんな会社では、自分の才能と能力を適切に評価してくれるとは思えない。当然、賃金も納得できるものではないであろう。
また、部下を威圧して問題回避をする上司は無能である。部下の失敗に起因するものであれ、上司に起因するものであれ、問題が生じたならば、その問題をどう解決するかを速やかに考えて行動にうつすことが先決である。なのに、部下を責めることで時間を浪費するような上司にはついていけない。早々に問題解決の方法を提案・実行して、その上司から離れたいものである。
★信賞必罰とは、物事に応じた賞罰を適切に与えることである。理にかなわない賞罰を与える職場や上司は、科学的でも論理的でもなく、そんな職場に良い人材が留まるわけがない。その職場の先行きは暗い。
★問題が生じたとき、自分の責任から逃れたいがために部下を責めてばかりいる上司とは離れるべきである。すくなくとも距離を置き、その後は都度承認を得ながら物事をすすめるしかない。どれだけ部下に判断や決裁、権限を委譲するかで、その職場のスピードは変わるのだが、責任追及ばかりしてくる上司なら請け負えない。当然スピードは落ちるので、競争に勝てるはずがない。
8 兵は多きを益とするにあらず
兵は多きを益とするにあらざるなり。ただ武進することなく、以って力を併わせて敵を料るに足らば、人を取らんのみ。それただ慮りなくして敵を易る者は、必ず人に擒にせらる。卒、いまだ親附せざるに而もこれを罰すれば、則ち服せず。服せざれば則ち用い難きなり。卒すでに親附せるに而も罰行なわれざれば、則ち用うべからざるなり。故にこれに令するに文を以ってし、これを斉うるに武を以ってす。これを必取と謂う。令、素より行なわれて、以ってその民を教うれば、則ち民服せず。令、素より行なわるる者は、衆と相得るなり。
兵士の数が多ければ、それで良いというものではない。やたらに猛進することを避け、戦力を集中しながら敵情の把握につとめてこそ、はじめて勝利を収めることができるのである。逆に深謀遠慮を欠き、敵を軽視するならば、敵にしてやられるのがおちだ。
兵士が十分なついていないのに、罰則ばかり適用したのでは、兵士は心服しない。心服しない者は使いにくい。逆に、すっかりなついているからといって、過失があっても罰しないなら、これまた使いこなせない。
したがって、兵士に対しては、温情を以って教育するとともに、軍律をもって統制をはからなければならない。
普段から軍律の徹底をはかっていれば、兵士は喜んで命令に従う。逆に、普段から軍律の徹底を欠いていれば、兵士は命令に従おうとしない。
つまり、普段から軍律の徹底につとめてこそ、兵士の信頼を勝ち取ることができるのである。
【仕事・職場で】
餌に釣られて動くのは、動物も人間も同じである。しかし人間は、心を掌握することで、全身全霊をもって従ってくれるようになる生き物でもある。
権力を持っていれば信賞必罰で心服させることは比較的容易にできる。しかし、使われの身ではそんな権力はない。できることは、まずは日頃から温情をもって接し、真面目に仕事に取り組み、結果も出していくことである。そうして信頼を勝ち取れば、自分とチームを組んだ時に最高のパフォーマンスを発揮する相棒になってくれるであろう。
ところが、世の中には自分のことしか考えない人間も多い。そんな人にどんな温情で接しても、どんな姿を見せても無駄である。そういう相手は、「そうせざるをえない」「そうならざるをえない」情況に追いこむしかない。圧力を加えるのも最後の手段として止むを得ない。ただし、ハラスメントにならないよう、十分な注意と冷静さが必要である。
★争いでもチームプレイでも、人の心を掌握できれば勝ったも同然である。
★人の心をつかむのは非常に難しい。まずは自分を変え、相手に合わせてあげることだ。ただし、傲慢になってはいけないし、へりくだる必要もない。
★自分のことしか考えない人間は「納得」する能力が低い。そういう相手は、筋論、理詰め、論破、利害による誘導などを駆使して、望む動きをさせるしかない。
拾、地形篇
1 六種類の地形
孫子曰く、地形には、通なる者有り、挂なる者有り、支なる者有り、隘なる者有り、険なる者有り、遠なる者有り。我以って往くべく、彼以って来たるべきを通と曰う。通なる形には、先ず高陽に居り、糧道を利して以って戦わば、則ち利あり。以って往くべく、以って返り難きを挂と曰う。挂なる形には、敵に備えなければ出てこれに勝ち、敵もし備えあれば出でて勝たず、以って返り難くして、不利なり。我出でて不利、彼も出でて不利なるを支と曰う。支なる形には、敵、我を利すといえども、我出ずることなかれ。引きてこれを去り、敵をして半ば出でしめてこれを撃つは利なり。隘なる形には、我先ずこれに居らば、必ずこれを盈たして以って敵を待つ。もし敵先ずこれに居り、盈つれば而ち従うことなかれ。盈たざれば而ちこれに従え。険なる形には、我先ずこれに居らば、必ず高陽に居りて以って敵を待つ。もし敵先ずこれに居らば、引きてこれを去りて従うことなかれ。遠なる形には、勢い均しければ以って戦いを挑み難く、戦わば而ち不利なり。およそこの六者は地の道なり。将の至任にして、察せざるべからず。
地形を大別すると、「通」「挂」「支」「隘」「険」「遠」の六種類がある。
「通」とは、味方からも、敵からもともに進攻することのできる四方に通じている地形をいう。ここでは、先に南向きの高地を占拠し、補給線を確保すれば、有利に戦うことができる。
「挂」とは、進攻するのは容易であるが、撤退するのが困難な地形をいう。ここでは、敵が守りを固めていないときに出撃すれば勝利を収めることができるが、守りを固めていれば、出撃しても勝利は望めず、しかも撤退困難なので、苦戦を免れない。
「支」とは、味方にとっても敵にとっても、進攻すれば不利になる地形をいう。ここでは、敵の誘いに乗って出撃してはならない。いったん退却し、敵を誘い出してから反撃すれば、有利に戦うことができる。
「隘」すなわち入口のくびれた地形では、こちらが先に占拠したなら、入口を固めて敵を迎え撃てばよい。もし敵が先に占拠して入口を固めていたら、相手にしてはならない。敵に先をこされても、入口を固めていなかったら、攻撃をかけることだ。
「険」すなわち険阻な地形では、こちらが先に占拠したら、必ず南向きの高地に布陣して、敵を待つことだ。敵に先をこされたら、進攻を中止して撤退したほうがよい。
「遠」すなわち本国から遠く離れた所では、彼我の勢力が均衡している場合、戦いをしかけてはならない。そこでは、戦っても不利な戦いを余儀なくされる。
以上の六項目は、地形に応じた戦い方の原則であり、その選択は将たるものの重要な任務である。慎重に熟慮しなければならない。
【仕事・職場で】
戦うわけではないので、地形を憶えて行動するということはない。しかし、地形を情況と読み替えれば、争いや議論において役立つ。相手に有利な情況では争わない。自分に有利な情況を見極めてから争う。当たり前ではあるが、鉄則である。
★まず自分のおかれている情況の有利・不利を判断し、不利なら争わない。
★自分が有利なら相手を攻める。自分が不利なら争いの出口を早急に探し、決着させる。
2 敗北を招く六つの状態
故に兵には、走なる者有り、弛なる者有り、陥なる者有り、崩なる者有り、乱なる者有り、北なる者有り。およそこの六者は、天の災いにあらず、将の過ちなり。それ勢い均しきとき、一を以って十を撃つを走と曰う。卒強くして吏弱きを弛と曰う。吏強くして卒弱きを陥と曰う。大吏怒りて服さず、敵に遇えば懟みて自ら戦い、将はその能を知らざるを崩と曰う。将弱くして厳ならず、教道も明かならずして、吏卒常なく、兵を陳ぬること縦横なるを乱と曰う。将、敵を料ること能わず、小を以って衆に合い、弱を以って強を撃ち、兵に選鋒なきを北と曰う。およそこの六者は敗の道なり。将の至任にして、察せざるべからず。
軍は、「走」「弛」「陥」「崩」「乱」「北」の状態におかれたとき、敗戦を招く。この六つは、いずれも不可抗力によるものではなく、あきらかに将たる者の過失によって生じる。
「走」―――彼我の勢力が拮抗しているとき、一の力で十の敵と戦う羽目になった場合。
「弛」―――兵卒が強くて軍幹部が弱い場合。
「陥」―――軍幹部が強くて兵卒が弱い場合。
「崩」―――将帥と最高幹部の折り合いが悪く、最高幹部が不平を抱いて命令に従わず、かってに敵と戦い、将帥もかれらの能力を認めていない場合。
「乱」―――将帥が惰弱で厳しさに欠け、軍令も徹底せず、したがって将兵に統制がなく、戦闘配置もでたらめな場合。
「北」―――将帥が敵情を把握することができず、劣勢な兵力で優勢な敵に当たり、弱兵で強力な敵と戦い、しかも自軍には中核となるべき精鋭部隊を欠いている場合。
以上六つの状態は、敗北を招く原因である。これは、いずれも将帥の重大な責任であるから、いやがうえにも慎重な配慮が望まれる。
【仕事・職場で】
作業がうまくいくかどうかは、ひとえに上司・リーダーによるところが大きい。作業がうまくいかなかったからといって、即座に自分を責めることはない。
ただ、上司・リーダーに責任を科すばかりでは、問題が解決しないことも同時に覚えるべきである。上司・リーダーが能力不足で、交替がきかないのであれば、その情況でどうすれば作業を完遂できるかを考えるべきである。
「走」―――作業に対する人手が足りないのは、上司・リーダーの責任である。
「弛」―――従業員が優秀でも上司・リーダーが無能ではたたかえない
「陥」―――上司・リーダーが作業に長けていても、従業員が作業できないなら、それは上司・リーダーが無能な従業員を放置している責任である。
「崩」―――上司・リーダーが従業員の能力を認めず、従業員が勝手気ままに作業をするのは、上司・リーダーの責任である。
「乱」―――信賞必罰ではなく私情で応え、適材適所ですらなければ作業は滞る。それは上司・リーダーの責任である。
「北」―――十分な準備のないまま作業にあたらせ、良い結果とならないのは、上司・リーダーの責任である。
★自分はしっかり準備をし能力的にも問題がないのに作業が完遂しないのであれば、その作業を統括する上司・リーダーの能力を分析しよう。
★無能な上司・リーダーのもとにいては、自分にどんなに能力があっても活かしきれない。可能なら、その上司・リーダーのもとから離れるべきである。離れられないのであれば、どうすれば自分の能力を活かせるのか、どこまでの能力を作業に反映させることができるのかを分析し、判断すべきである。
★自分を省みることなく、上司・リーダーを非難することは避けよう。それは責任転嫁となり、自分の成長を妨げることになる恐れがある。
3 地形は兵の助けなり
それ地形は兵の助けなり。敵を料りて勝ちを制し、険阨遠近を計るは、上将の道なり。これを知りて戦いを用うる者は必ず勝ち、これを知らずして戦いを用うる者は必ず敗る。故に戦道必ず勝たば、主は戦うなかれと曰うとも必ず戦いて可なり。戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも戦うなくして可なり。故に進んで名を求めず。退いて罪を避けず。ただ人をこれ保ちて而して利、主に合うは、国の宝なり。
地形は、勝利を勝ち取るための有力な補助的条件である。したがって、敵の動きを察知し、地形の険阻遠近をにらみあわせながら作戦計画を策定するのは、将帥の務めである。
これを知ったうえで戦う者は必ず勝利を収め、これを知らずに戦う者は必ず敗北を招く。それ故、必ず勝てるという見通しがつけば、君主が反対しても、断固戦うべきである。逆に、勝てないという見通しがつけば、君主が戦えと指示してきても、絶対に戦うべきでない。
その結果として、将帥は、功績をあげても名誉を求めず、敗北しても責任を回避してはならぬ。ひたすら人民の安全を願い、君主の利益をはかるべきである。そうあってこそ、国の宝といえるのだ。
【仕事・職場で】
自分の利益ばかりを追求する行動は、味方を減らし、敵を増やす事になる。成果が出れば我先にと自分の貢献度をアピールするが、成果が出なかった時や失敗した時には責任を回避する。そんな利己的な人間は好かれるはずがない。
むしろ、成果が出た時にはチームメイトの功績をたたえ、失敗した時には自ら進んで責任をかぶりにいくべきである。心ある同僚なら、たたえられた恩義に応え、一緒に責任を負うために名乗り出てくれるはずである。そうしない同僚とは距離を置き、または関係を切断すべきである。
また、所属する組織の隆盛を考えれば、おのずとやるべきことが見えてくる。自然と利己主義から脱することになる。自分のためを考えれば全体に資するべきとなるし、全体に資することで自分のためになる。どちらが先ということではないのである。
★「自分さえ良ければ良い」は、かえって自分を苦境へと追いやる。他人に与えてはじめて、その人から与えてもらえる可能性を生むことができる。
★自分の利益を追求していくと、全体の利益を追求することへとつながる。いかに自分の成績が良くても、会社が儲からなければ賃金は上がらないということである。会社が儲かるためには、自分ひとりだけが努力をしても、どうにもならないからである。
4 卒を視ること嬰児のごとし
卒を視ること嬰児のごとし、故にこれと深谿に赴くべし。卒を視ること愛子のごとし、故にこれと倶に死すべし。厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて治むること能わざれば、譬えば驕子のごとく、用うべからざるなり。
将帥にとって、兵士は赤ん坊と同じようなものである。そうあってこそ、兵士は深い谷底までも行動を共にするのだ。
将帥にとって、兵士は我が子と同じようなものである。そうあってこそ、兵士は喜んで生死を共にしようとするのだ。
しかしながら、部下を厚遇するだけで思いどおりに使えず、可愛がるだけで命令できず、軍規に触れても罰を加えることができなければ、どうなるか。そうなったら、わがまま息子を養っているようなもので、ものの役には立たなくなってしまう。
【仕事・職場で】
大義名分をもって道理を得るのであり、利害の一致をもって能動を得る。しかし、人間だけは心情の掌握によってそれらを凌駕して物事にあたる。前者の一方を成すことは容易だが、前者の双方を成すことは難しい。そして、後者を成すことは最も難しいのだが、最大の能力をひき出す数少ない方法である。人心掌握を求めて様々な学問が発展してきたが、これができれば闘わずして勝利できる。争いを始めてしまっては、人心掌握などできるはずがない。争いは最後の手段として、まずは人心をとどめ、動かし、あわよくば掌握を目指すべきである。
それが叶わないことが確実になったなら、止む無く争い、争うからには勝てる条件を整えるべきなのである。
また、ここでは、職場の腐敗の原因を知ることができる。厚遇するだけ、可愛がるだけ、罰を与えずなぁなぁで済ませる。こんなリーダーや上司のもとでは、部下は役に立たなくなるどころか、組織の害悪と化してしまう。この状態に陥った職場の改善は、一朝一夕では立ち行かないので、組織の存続は危機的と考えるべきである。
★チームで作業をするにあたっては、皆の気持ちが同じ方向を向くことが求められる。個々の能力が優秀でも、気持ちがバラバラでは相乗効果は望めない。
★人心掌握こそ、最高効率のパフォーマンスを生み出す。しかし同時に覚えておかなくてはならない。変えられないのは過去と人、変えられるのは自分と未来。それだけ人心掌握は難しいことであり、正解はないのである。
★誰もが納得できる論功行賞というのは難しいが、せめて私情を挟まない信賞必罰はあって然るべきである。この信賞必罰さえできない上司は、組織を腐敗させる一因となる。
5 兵を知る者は動いて迷わず
吾が卒の以って撃つべきを知るも、敵の撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知るも、吾が卒の以って撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知り、吾が卒の以って撃つべきを知るも、地形の以って戦うべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。故に曰く、彼を知り己れを知れば、勝、乃ち殆うからず。天を知りて地を知れば、勝、乃ち窮まらず。
味方の兵士の実力を把握していても、敵の戦力の強大さを認識していなければ、勝敗の確率は五分五分である。
敵の戦力はそれほど強大なものではないと知っていても、味方の兵士の実力を把握していなければ、勝敗の確率はやはり五分五分である。
さらに、敵の戦力、味方の実力を十分に把握していても、地の利が悪いことに気付かなければ、これまた勝敗の確率は五分五分である。
戦上手は、敵、味方、地形の三者を十分に把握しているので、行動を起こしてから迷うことがなく、戦いが始まってから苦境に立たされることがない。
敵味方、双方の力量を正確に把握し、天の時と地の利を得て戦う者は、常に不敗である。
【仕事・職場で】
勝てない争いはするべきではないし、争うからには勝たなければならない。勝つための最低条件は、正しく客観的な情報をできるだけ多く把握することである。第一に、自分の才能・能力・心身の状態などの把握である。第二に、相手の才能・能力・心身の状態などの把握である。第三に、論戦を行なう環境・状況である。これらを把握できて、はじめて策略をめぐらせることができる。
また、作業をする場合も同様である。最小の労力で、最速・最大の結果を生み出すには、それ相応の段取りが欠かせない。第一に、作業の目的・量・密度などの把握である。第二に、自分の才能・能力・心身の状態などの把握である。第三に、作業をする場所・道具・日程などの環境である。これらを把握したうえで作業計画を立案してから実行に移れば、いきなり作業を始めるよりも、結果として早く、効率よく目標を達成することができるのである。
★天地人を把握することが、勝率を高めることに繋がる。これをおろそかにすれば、勝てるものも勝てるはずがない。すなわち、自分、相手、環境の把握である。
★争いが避けられそうもないのなら、相手の情報をできるだけ収集しなければならない。また、自分を過信せず、客観的に能力を把握しておかなければならない。その上で、自分が不利にならない環境、できれば有利になる環境のもとに相手を誘い出し、または相手が来る前に自ら出向き、論戦を始めるべきである。
★作業の前に、まず、その作業の分析をすべきである。その結果、すぐに取り掛かるべきと判断すればそうすれば良いが、そうでないなら作業計画を立ててから遂行すべきである。
拾壱、九地篇
1 戦場の性格に応じた戦い
孫子曰く、兵を用いるの法に、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、圮地有り、囲地有り、死地有り。諸侯自らその地に戦うを散地となす。人の地に入りて深からざる者を軽地となす。我得れば則ち利あり、彼得るもまた利ある者を争地となす。我以って往くべく、彼以って来たるべき者を交地となす。諸侯の地三属し、先に至れば天下の衆を得べき者を衢地となす。人の地に入ること深く、城邑を背にすること多き者を重地となす。山林、険阻、沮沢、およそ行き難きの道を行く者を圮地となす。由りて入る所の者隘く、従りて帰る所の者迂にして、彼寡にして以って吾が衆を撃つべき者を囲地となす。疾く戦えば則ち存し、疾く戦わざれば則ち亡ぶ者を死地となす。この故に散地には則ち戦うことなかれ。軽地には則ち止まることなかれ。争地には則ち攻むることなかれ。交地には則ち絶つことなかれ。衢地には則ち交わりを合す。重地には則ち掠む。圮地には則ち行く。囲地には則ち謀る。死地には則ち戦う。
戦争には、戦場となる地域の性格に応じた戦い方がある。
まず、戦場となる地域を分類すれば、「散地」「軽地」「争地」「交地」「衢地」「重地」「圮地」「囲地」「死地」の九種類に分けることができる。
「散地」とは、自国の領内で戦う場合、その戦場となる地域をいう。
「軽地」とは、他国に攻め入るが、まだそれほど深く進攻しない地域をいう。
「争地」とは、敵味方いずれにとっても、奪取すれば有利になる地域をいう。
「交地」とは、敵味方いずれにとっても、進攻可能な地域をいう。
「衢地」とは、諸外国と隣接し、先にそこを押さえた者が諸国の衆望を集めうる地域をいう。
「重地」とは、敵の領内深く進攻し、敵の城邑に囲まれた地域をいう。
「圮地」とは、山林、要害、沼沢など行軍の困難な地域をいう。
「囲地」とは、進攻路がせまく、撤退するのに迂回を必要とし、敵は小部隊で味方の大軍を破ることのできる地域をいう。
「死地」とは、速やかに勇戦しなければ生き残れない地域をいう。
以上、九種類の地域については、それぞれ次の戦い方が望まれる。
「散地」―――戦いを避けなければならない。
「軽地」―――駐屯してはならない。
「争地」―――敵に先をこされたら、攻撃してはならない。
「交地」―――部隊間の連携を密にする。
「衢地」―――外交交渉を重視する。
「重地」―――現地調達を心がける。
「圮地」―――速やかに通過する。
「囲地」―――奇策を用いる。
「死地」―――勇戦あるのみ。
【仕事・職場で】
実際に戦うことはないので、戦地による戦い方としてではなく、論争をしなければならない場合の情況として覚えておくべきである。
自分に有利と思われる環境で論争をしなければならない場合は、できるだけ論争という形を避けて、自分の周りへの印象を第一に考えなければならない。たとえ論争に勝っても、その後の印象が悪ければ、総じて後々やりにくくなるからである。
自分にも相手にも加担するわけではない第三者に囲まれて論争をする場合は、やはり論争という形にこだわらず、その第三者を巻き込んで自分の正当性を受け容れてもらうことを重視すべきである。
自分に不利と思われる環境で論争をしなければならなくなったら、できるだけ早くその場を立ち去り、別の機会と環境に改めることである。
その場からの移動すらままならないのなら、全力をもって闘うのみである。
★論争はできるだけ避ける。避けられないのであれば、論争終結後の自分が置かれる環境も計算に入れる。論争に負けても、その後の周りが自分の味方に付くのならば、実質的には自分の勝利だからである。
★自分に有利な環境で論争できるのならば、論争ではなく、相手の説得と納得という形をとる。その際、相手を説得する体で、その実は周りの表情・反応をよく観察しながら、周りの納得を得ていくべきである。そうすれば、自分が相手にかなわなくても、周りも相手に意見をしてくれるようになるからである。
★自分以外全員敵のような状況で論争となったら、速やかにその場から離れるべきである。その場でのやり取りは、後々、相手チームの良いように有る事無い事を言われてしまうからである。その場から立ち去るためには「上司に呼ばれている」「電話がかかってきた」など、相手には分からない理由であれば何でも良い。それすら叶わないのであれば、全力をもって論破するのみである。
2 先ずその愛する所を奪え
所謂古の善く兵を用うる者は、よく敵人をして前後相及ばず、衆寡相恃まず、貴賤相救わず、上下収めず、卒離れて、集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合して動き、利に合せずして止む。敢えて問う、敵衆整いて来たらんとす。これを待つこと若如。曰く、先ずその愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情は速やかなるを主とす。人の及ばざるに乗じ、虞らざるの道に由り、その戒めざる所を攻むるなり。
むかしの戦上手は、敵を攪乱することに巧みであった。すなわち、敵の先鋒部隊と後衛部隊、主力部隊と支援を切り離し、上官と部下、将校と兵士のあいだにくさびを打ちこみ、一丸となって戦えないようにしむけた。そして、有利とみれば戦い、不利とみればあえて戦わなかった。
では、敵が万全の態勢をととのえて攻め寄せてきたら、どうするか。
その場合は、機先を制して、敵のもっとも重視している所を奪取することだ。そうすれば、思いのままに敵を振り回すことができる。
作戦の要諦は、なによりもまず迅速を旨とする。敵の隙に乗じ、思いもよらぬ道を通り、意表をついて攻めることだ。
【仕事・職場で】
論戦において機先を制するには、どうすれば良いか。それは、単に口火を切ることではない。相手が言いたいこと、したいことを、先に知り、または予測しておくことである。相手の言いたいことが分かれば、相手に先に発言させた方が有利になるか、後に発言させた方が有利になるかを判断できる。また、相手のしたいことが分かれば、その要求を満たしてあげることで争いを回避できる。言い合うことのテクニックだけが論争に勝つ方法ではない。
★とにかくまずは、情報収集である。日頃からの情報収集や観察、分析が大切である。その上で、相手の要求を満たして論争を回避することが最善の策である。
★どうしても論争を回避できないのであれば、相手の争点を把握して、論争のシミュレーションをしてみる。そのことによって、自分が用意するべき言葉や証拠・材料が見えてくるので、しっかりと準備ができる。
★論争において相手が有利だと思っているのなら、相手に先に発言させる。自分が相手の手の内を読んでいることを悟られてはいけない。そうすれば、一通り発言を終えた相手に対して準備しておいた反論をするだけで、相手は虚を衝かれるのである。
3 敵領内での作戦
およそ客たるの道、深く入れば則ち専にして主人克たず。饒野に掠めて三軍食足る。謹み養いて労するなく、気を併せ力を積む。兵を運らし計謀して測るべからざるをなす。これを往く所なきに投ずれば、死すとも且つ北げず。
死いずくんぞ得ざらん。士人力を尽くさん。兵士、甚だ陥れば則ち懼れず。往く所なければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。
この故に、その兵修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。祥を禁じ疑を去らば、死に至るまで之く所なし。吾が士、余財なきも貨を悪むにあらず、余命なきも寿を悪むにあらず。令発するの日、士卒の坐する者は涕襟を霑し、偃臥する者は涕頤に交わる。これを往く所なきに投ずれば諸劌の勇なり。
敵の領内深く進攻したときの作戦原則―――
一、敵の領内深く進攻すれば、兵士は一致団結して事にあたるので、敵は対抗できない。
一、食料は敵領内の沃野から徴発する。これで全軍の食糧をまかなう。
一、たっぷり休養をとり、戦力を温存して鋭気を養う。
一、敵の思いもよらぬ作戦計画を立てて、存分にあばれ回る。
こうして軍を逃げ道のない戦場に投入すれば、兵士は逃げ出すことができぬから命がけで戦わざるをえない。
兵士というのは、絶体絶命の窮地に立たされると、かえって恐怖を忘れる。逃げ道のない状態に追いこまれると、一致団結し、敵の領内深く入りこむと、結束を固め、どうしようもない事態になると、必死になって戦うものだ。
したがって兵士は、指示しなくても自分たちで戒めあい、要求しなくても死力を尽くし、軍紀で拘束しなくても団結し、命令しなくても信頼を裏切らなくなる。こうなると、あとは迷信と謡言を禁じて疑惑の気持ちを生じさせなければ、死を賭して戦うであろう。
かくて兵士は、生命財産をかえりみず戦う。
かれらとて実は、財産は欲しいし、生命は惜しいのだ。出陣の命令が下ったときは、死を覚悟して、涙は頬をつたわり、襟をぬらしたはずである。
そのかれらが、いざ戦いとなったとき、専諸や曹劌顔負けの働きをするのは、絶体絶命の窮地に立たされるからにほかならない。
【仕事・職場で】
背水の陣、窮鼠猫を嚙むなどの有名な言葉で分かるとおり、人は追いつめられると信じられない力を発揮するものである。ここで気を付けなければならないのは、追いつめられたときの力の倍化であり、絶望に至ると無力になることである。追いつめすぎて、四面楚歌にならないようにしなければならない。
作業では、「締め切りまでにギリギリ間に合うかもしれない」となれば、人間関係を超えて協力しなければならなくなるし、普段より長く深く集中して作業にあたることができる。余裕があれば隙ができるし、完全に間に合わないのならば諦めてしまう。
論議ならば、必ず逃げ道を作っておくことである。逃げ場がなく追いつめられれば、もはや論理的な議論や整合性などは関係なくなり、感情論や勢いだけでガムシャラに反撃してくるであろう。そうなれば、まとまるものも、まとめることができなくなってしまう。
★作業は程良い緊張感の生まれる締め切りを設けよう。自分に甘ければ隙ができて効率が下がり、厳しすぎれば諦念が先に立ってしまう。
★論争相手には、必ず逃げ道を用意しておこう。追いつめられるとメチャクチャな反撃をされて、論破どころではなくなってしまう。
★もしも自分が追い詰められているのであれば、それは相手の失策でしかない。ただ、もう一度だけ冷静になってみよう。追い詰められていると全てを投げ打ってでも反撃したくなる感情になってしまっているからである。本当に全てを投げ打つに値する相手だろうか?ほとんどの場合、相手にそれだけの価値は無い。自分を大切に守る最善策を考えよう。
4 呉越同舟
故に善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし。率然とは常山の蛇なり。その首を撃てば則ち尾至り、その尾を撃てば則ち首至り、その中を撃てば則ち首尾倶に至る。敢えて問う、兵は率然のごとくならしむべきか。曰く、可なり。それ呉人と越人と相悪むも、その舟を同じくして済り風に遇うに当たりては、その相救うや左右の手のごとし。この故に馬を方べ輪を埋むるも未だ恃むに足らず。勇を斉えて一のごとくするは政の道なり。剛柔皆得るは地の理なり。故に善く兵を用うる者は、手を携りて一人を使うがごとし。已むを得ざらしむればなり。
戦上手の戦い方は、たとえば「率然」のようなものである。「率然」とは常山の蛇のことだ。常山の蛇は、頭を打てば尾が襲いかかってくる。尾を打てば頭が襲いかかってくる。胴を打てば頭と尾が襲いかかってくる。
では、軍を常山の蛇のように動かすことができるのか。
もちろん、それは可能である。
呉と越とはもともと仇敵同士であるが、たまたま両国の人間が同じ舟に乗り合わせ、暴風にあって舟が危ないとなれば、左右の手のように一致協力して助け合うはずだ。それには、馬をつなぎ、車を埋めて、陣固めするだけでは、十分ではない。全軍を打って一丸とするには、政治指導が必要である。勇者にも弱者にも、持てる力を発揮させるためには、地の利を得なければならない。
戦上手は、あたかも一人の人間を動かすように、全軍を一つにまとめて自由自在に動かすことができる。それはほかでもない、そうならざるを得ないように仕向けるからである。
【仕事・職場で】
利益の一致、または、損害の一致が見込まれれば、協力体制を築くことは容易になる。
作業であれば、第一には、チーム全体が作業をしたくなるように仕向けることである。それでもチームの方向が一つにまとまらなければ、そうせざるを得ないように仕向けることである。しかし、指揮監督権を持たない者にとっては、そうせざるを得ないように仕向けることは難しいので、指揮監督権を持つ者の情報を上手に宣伝することが肝要になる。
論議であれば、第一には、相手が自分の思惑通り発言したくなるように仕向けることである。さらには、相手が自分の思惑通りの発言をせざるを得ないように仕向けることである。これには、広める情報と閉ざす情報を上手に使い分けることで、可能となる。
★作業を達成することによって得られる利益、被る損失を明確にしよう。利益も損失も無ければ、その作業を一所懸命に達成させる外的要因が無いことになる。
★論争相手が不満を募らせていることを知ったならば、論議の時まで、その不満を吐き出させず溜めさせれば、自分の望む時・場所または自分の予測できる時・場所で、相手は論争を始めてくれる。時・場所・状況が分かっていれば、予め勝つための対処をしておくことができる。
一方で、自分の望まない時・場所・状況になりそうであれば、相手の不満を和らげる、または相手の不満を一層募らせることで、論争の時・場所・状況はある程度コントロールできる。
★争う前に勝敗は決している。味方を増やし、資料をそろえ、反論する準備ができていれば、勝つことはあっても負けるはずがない。一時の感情や勢いだけに任せて論戦を始めていては、そうはいかない。論戦は感情を満たすためではなく、自分に向けられた不利益を正すために、やむを得ず行なうことを忘れてはならない。
5 人をして慮ることを得ざらしむ
軍に将たるのことは静以って幽、正以って治。よく士率の耳目を愚にして、これをして知ることなからしむ。その事を易え、その謀を革めて、人をして識ることなからしむ。その居を易え、その途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。帥いてこれと期するや、高きに登りてその梯を去るがごとし。帥いてこれと深く諸侯の地に入りて、その機を発するや、舟を焚き釜を破りて、群羊を駆るがごとし。駆られて往き、駆られて来たるも、之く所を知るなし。三軍の衆を聚めてこれを険に投ずるは、これ軍に将たるの事と謂うなり。九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざるべからず。
軍を統率するにあたっては、あくまでも冷静かつ厳正な態度で臨まなければならない。兵士には作戦計画を知らせる必要はないのである。戦略戦術の変更についてはもちろん、軍の移動、迂回路の選択等についても、兵士にそのねらいを知られてはならない。
いったん任務を授けたら、二階にあげて梯子をはずしてしまうように、退路を断ってしまうことだ。敵の領内に深く進攻したら、弦をはなれた矢のように進み、舟を焼き、釜をこわして、兵士に生還をあきらめさせ、羊を追うように存分に動かすことだ。しかも兵士には、どこへ向かっているのか、まったくわからない。
このように全軍を絶体絶命の窮地に追いこんで死戦させる―――これが将帥の任務である。
したがって、将帥は、九地の区別、進退の判断、人情の機微について、慎重に配慮しなければならない。
【仕事・職場で】
論議に対しては、冷静かつ厳正な態度で臨まなければならない。感情的でいては勝てないし、大義名分が無ければ負けるからである。また、論議の手法だけではなく、リアルタイムでの相手の心情の機微を見て取り、臨機応変に投げかける言葉を選ばなくてはならない。
また、何事においても、本当に信頼できる人物以外に、自分の本心や考えを打ち明けるべきではない。その人物に話した内容が、いつ、どこで、どのタイミングで第三者に知られるかもしれないからである。自分の内側を話せば話すほど、相手にとって得られる情報が増えて、自分が不利になる。
人間不信にはなってほしくないが、人間過信にもなってほしくない。善人ばかりの世の中ならば、孫子の兵法が何千年も語り継がれるはずがないのである。
★論争こそ、冷静で厳正な態度で臨むべき。頭に血が上っていては負ける。自分に正しい論拠が無ければ、どんなに有利に論争を展開しても最後に必ず負ける。
★今その話をする相手は、本当に信用できる人ですか?家族ですら、話した事をその人の判断で漏洩するかもしれません。「他言しない約束」をしても、その約束にどれだけの強制力がありますか?自分の口から出した言葉は、事実上、出回ると思っておきましょう。
★孫子兵法だけではなく、「部下のヤル気を最高に出させるためには、死力を尽くさせること」と説いているものは少なくありません。しかし、死力を尽くしていたら心身がもたないし、そもそも、命を懸けて納得できる程の報酬が約束されているわけでもありません。もしも、そういった時代錯誤的な信念で指揮してくる上司がいたら、即刻離れるか、然るべき法的対処を準備しましょう。
6 情況に応じた戦い方
およそ客たる道は、深ければ則ち専に、浅ければ則ち散ず。国を去り境を越えて帥する者は、絶地なり。四達する者は、衢地なり。入ること深き者は、重地なり。入ること浅き者は、軽地なり。固を背にし隘を前にする者は、囲地なり。往く所なき者は、死地なり。この故に散地には吾まさにその志を一にせんとす。軽地には吾まさにこれをして属せしめんとす。争地には吾まさにその後に趨かんとす。交地には吾まさにその守りを謹まんとす。衢地には吾まさにその結びを固くせんとす。重地には吾まさにその食を継がんとす。圮地には吾まさにその塗を進まんとす。囲地には吾まさにその闕を塞がんとす。死地には、吾まさにこれに示すに活きざるを以ってせんとす。故に兵の情、囲まるれば則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。
敵の領内に進攻した場合、奥深く進攻すれば味方の団結は強まるが、それほど深く進攻しないときは、団結に乱れを生じやすい。
国境を越えて進攻するということは、すなわち孤立した状態で戦うことである。そして、同じ敵の領内でも、道が四方に通じている所が「衢地」、奥深く進攻した所が「重地」、それほど深く進攻しない所が「軽地」、後に要害、前に隘路をひかえ、進退ともに困難な所が「囲地」、逃げ場のない所が「死地」である。
では、そのような地で戦うには、どのような配慮が必要とされるのか。
「散地」では、兵士の心を一つにまとめて団結を固めなければならない。
「軽地」では、部隊間の連携を密接にしなければならない。
「争地」では、急いで敵の背後に回らなければならない。
「交地」では、自重して守りを固めなければならない。
「衢地」では、諸外国との同盟関係を固めなければならない。
「重地」では、軍糧の調達をはからなければならない。
「圮地」では、迅速に通過することを考えなければならない。
「囲地」では、みずから逃げ道をふさいで、兵士に決死の覚悟を固めさせなければならない。
「死地」では、戦う以外に生きる道がないことを全軍に示さなければならない。
もともと兵士の心理は、包囲されれば抵抗し、ほかに方法がないとわかれば必死で戦い、いよいよせっぱつまれば上の命令に従うものである。
【仕事・職場で】
「拾壱、九地篇」の「1 戦場の性格に応じた戦い」では、九つの地形への分類と、それぞれの地形の特徴が述べられており、ここではその九つの地形ごとで、取るべき基本行動が説明されているので、対比しながら参考にしてほしい。
★論争は、相手の出方により、こちらの受け方を準備できるものがある。まずは、先手不利である。論争はいつの時代でも、後出しジャンケンが圧倒的に有利である。なぜなら、先に口火を切った言葉から矛盾点なり揚げ足なりを捉えて追及するほうが簡単だからである。追及されてしまったら、先手はその弁解ばかりとなってしまう。
★論争相手が感情的ならば、勢いに任せて話し尽くさせると良い。疲れたところに、矛盾点なり揚げ足なりを捉えていけば、相手は反論する気力も無くなっているので脆い。感情的になれば、論議に整合性が失われても不思議ではない。
★論争相手がマウントを取ってきた場合は、同じ種類の威圧で逆に圧倒できれば鎮静化する。感情丸出しの威圧で来るなら、こちらは圧倒的威圧感でねじ伏せる。理詰めで来るなら、用意していた筋書き通り論破する。相手が逃げようとすれば、こちらも自分の退路を確保して後退する様を見せる。これらは相手が行なっている所作と同じ所作で対抗しているから、相手はこちらの所作を否定できないことを利用している。
7 死地に陥れて然る後に生く
この故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林、険阻、沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。四五の者一を知らざれば、覇王の兵にあらざるなり。それ覇王の兵、大国を伐たば、則ちその衆聚まることを得ず。威、敵に加うれば、則ちその交わり、合することを得ず。この故に天下の交わりを争わず、天下の権を養わず、己れの私を信べ、威、敵に加わる。故にその城は抜くべく、その国は堕るべし。無法の賞を施し、無政の令を懸け、三軍の衆を犯すこと一人を使うがごとし。これを犯すに利を以ってし、告ぐるに害を以ってすることなかれ。これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。それ衆は害に陥れて、然る後によく勝敗をなす。
諸外国の出方を読みとっておかなければ、前もって外交方針を決定することができない。山林、険阻、沼沢などの地形を把握していなければ、軍を進攻させることができない。道案内を使わなければ、地の利を占めることができない。
これらのうち一つでも欠けば、もはや天下を制圧する覇王の軍とはいえないのである。
このような覇王の軍がひとたび攻撃を加えれば、いかなる大国といえども、軍を動員するいとまもない状態に追いこまれるであろう。また、威圧を加えるだけで、相手国は外交関係の孤立を招くであろう。したがって、外交関係に腐心し、同盟国の援助をあてにするまでもなく、思いのままに相手を圧倒し、城を取り、国を破ることができるのである。
時には兵士に規定外の報奨金を与えたり、常識はずれの命令を下したりすることも考えられてよい。そうすれば、あたかも一人の人間を使うように全軍を動かすことができる。
兵士に任務を与えるさいには、説明は不必要である。有利な面だけを告げて、不利な面は伏せておかなければならない。
絶体絶命の窮地に追いこみ、死地に投入してこそ、はじめて活路が開ける。兵士というのは、危険な状態におかれてこそ、はじめて死力を尽くして戦うものだ。
【仕事・職場で】
いかに客観的な事実としての情報を収集し、いかに自分の思惑の範囲内での情報をつかませるかで、争うまでもなく、相手の圧力を受けずに済ませることができるのである。争うのは最後に取るべき道であるが、いざ争うことになった場合でも、収集した情報と、つかませた情報により、自分に有利に闘うことができるのである。情報操作や心理操作は、数千年の昔から現代に至るまで、常套手段である。
★情報自体は膨大なので、取捨選択と整理をする能力を日頃から磨きつつ、情報収集をするべきである。同時に、自分の情報を閉ざすところから訓練し、徐々に、自分にとって有利となる情報のみを発信し、不利になる情報を閉ざすようにしていく。これらは嘘をついているわけではない。聞かれていないことを何から何まで話す義務は無い。
★情報は主観、つまり、思い込みによって、受け止め方はいかようにも変化してしまう。したがって、自分が情報収集する場合は、客観的にとらえるように努めるべきである。それでも主観が入り込んでしまう。当たり前である。しかし、客観性を主観が圧倒してしまうと、分析や予測は自分にとって都合の良いものしか生み出せなくなる。
逆に、相手に伝わるべく発信する情報は、一つの事実でも、表現や、伝わる人々によって、色が付く。情報操作のために発信するときには、そこを利用するのである。
たとえば「りんご」。何色を想像しましたか?正解は「黄緑」です。りんごは赤いという一般常識で想像したり、「青りんご」という名称にとらわれて「青」を思い浮かべたかもしれない。この「りんご」としか発信しなかった情報は、嘘ではないし、受け手の常識に訴えた情報操作の一例である。
8 始めは処女のごとく、後には脱兎のごとし
故に兵をなす事は、敵の意に順詳し、敵を一向に并せて、千里に将を殺すに在り。これを巧みによく事を成す者と謂うなり。この故に政挙がるの日、関を夷め符を折りて、その使を通ずることなく、廊廟の上に厲まし、以ってその事を誅む。敵人開闔すれば必ず亟かにこれに入り、その愛する所を先にして微かにこれと期し、践墨して敵に随い、以って戦事を決す。この故に始めは処女のごとくにして、敵人、戸を開き、後には脱兎のごとくして、敵、拒ぐに及ばず。
作戦行動の要諦は、わざと敵のねらいに、はまったふりをしながら、機をとらえて兵力を集中し、敵の一点に向けることである。そうすれば、千里の遠方に軍を送っても、敵の将軍をとりこにすることができる。これこそ、まことの戦上手というべきである。
いよいよ開戦というときには、まず関所を閉鎖して通行証を廃棄し、使者の往来を禁ずるとともに、廟堂では、軍議をこらして作戦計画を決定する。もし敵につけ入る隙があれば、すみやかに進攻し、あくまでも隠密裡に、敵のもっとも重視している所に先制攻撃をかける。そして、敵の出方に応じて随時、作戦計画に修正を加えて行く。
要するに、最初は処女のように振る舞って敵の油断をさそうことだ。そこを脱兎のごとき勢いで攻めたてれば、敵はどう頑張ったところで防ぎきることはできない。
【仕事・職場で】
大人しくして下を向いている、という意味ではない。何もしないかのように装いつつ、何もできないかのごとく装いつつ、何も知らないかのように装いつつ、相手の見えないところ、気付かないところで、着々と準備をすすめ、布石を置き、罠を張るのである。そして、機が熟した、罠にはまったと見るや、怒涛のごとく攻め寄せるのである。
これが「始めは処女のごとく、終わりは脱兎のごとし」の意味するところであるが、その前提には周到な情報収集と、情報発信・操作をすることがある。相手の情報が無ければ策を弄することができないし、相手のどこを重点的に攻めれば良いかもハッキリしない。その状態では、自分の何を強化し、準備すれば良いのかが定まらない。
★論議の時・場所が定まっているか予測できているのならば、その日までは何も知らないふり、気付かないフリで通し、普段と変わらない毎日を送りながら、裏ではシッカリとシミュレーションを重ね、必要な資料を作り、予想される発言への返答を準備する。相手は出された資料に驚き、何を言っても論破され、勝つことが難しくなる。
★相手に糾弾されることを知ったならば、知らないフリをし続けて、相手が行動に出るそのギリギリの時まで情報収集を重ね、資料をまとめ、シミュレーションと返答の準備を重ねる。普段と変わらない姿を見続ける相手は油断し、いきなり糾弾できる優位性に慢心し、準備を怠るから、準備万端の自分の反撃の前にもろいのである。
★いきなり論戦をしかけられたならば、敢えておののいた表情で、とにかく相手に話させよう。こちらが驚いている間は、相手は勢いに乗って話し続けてくれるであろう。その中で、第一に冷静を保ち、相手に話させている間に、情況と論点を整理しよう。そして相手の争点を見い出し、相手の矛盾点を発見できたなら、一気に反転攻勢して論破しよう。こちらが考え中とは悟らせず、困惑していると思わせることで時間を稼ぐことができる。
拾弐、火攻篇
1 火攻めのねらい
孫子曰く、およそ火攻に五あり。一に曰く、人を火く、二に曰く、積を火く、三に曰く、輜を火く、四に曰く、庫を火く、五に曰く、隊を火く。火を行なうには必ず因あり。煙火は必ず素より具う。火を発するに時あり、火を起こすに日あり。時とは天の燥けるなり。日とは月の箕、壁、翼、軫に在るなり。およそこの四宿は風起こるの日なり。
火攻めには、次の五つのねらいがある。
一、人馬を焼く
二、軍糧を焼く
三、輜重(輸送物資)を焼く
四、倉庫を焼く
五、屯営を焼く
いずれの場合でも、火攻めを行なうには、一定の条件が満たされなければならない。また、発火器具などもあらかじめ備えつけておかなければならない。
火攻めには、決行に適した時期というものがある。すなわち、空気が乾燥し、月が箕、壁、翼、軫(いずれも星座の名)にかかるときこそ、まさにその時だ。なぜなら、月がこれらの星座にかかるときには、必ず風が吹き起こるからである。
【仕事・職場で】
作業をするにあたって、いかに便利な技術や道具があっても、経験を知らなければ十二分には作業へ反映させることができない。しかし、初めて行なう作業においては、経験があるはずがない。そこで役に立つのが、歴史や過去の実績を学ぶことである。過去は変えようのない事実であるから、そこから学べることは多い。普段から職場の歴史や過去の実績はもちろん、他社、業界、国、世界の歴史や実績を見分しておくことは、いざという時の貯蓄になる。
★作業計画を立てるにあたっては、現在集まっている情報に加えて、過去の実績は失敗を反映させることで、より堅固なものとなる。
★作業計画を立てるにあたって、自分の発想だけではいずれ限界を迎える。歴史や実績、失敗例からヒントを得て、さらなる計画改善をすべきである。それらは実績のある参考書である。
★歴史は暗記するものではなく、理解して吸収し、学ぶものである。物事の流れと因果関係、人間関係や心理など、学べることは多い。良い事も悪い事も、人類は数千年ものあいだ繰り返している。数千年前の出来事だからと見くびってはいけない。
2 臨機応変の運用
およそ火攻めは、必ず五火の変に因りてこれに応ず。火、内に発すれば、則ち早くこれに外に応ず。火発してその兵静かなるは、待ちて攻むることなかれ。その火力を極め、従うべくしてこれに従い、従うべからずして止む。火、外に発すべくんば、内に待つことなく、時を以ってこれを発せよ。火、上風に発すれば、下風を攻むることなかれ。昼風は久しく、夜風は止む。およそ軍は必ず五火の変あるを知り、数を以ってこれを守る。
火攻めにさいしては、その時々の情況に応じて臨機応変の処置をとらなければならない。
敵陣に火の手があがったときは、外側からすばやく呼応して攻撃をかける。
火の手があがっても敵陣が静まりかえっているときは、攻撃を見合わせてそのまま待機し、火勢を見きわめたうえで、攻撃すべきかどうかを判断する。
敵陣の外側から火を放つことが可能なときは、敵の内応を待つまでもなく、好機をとらえて火を放つ。
風上に火の手があがったときは、風下から攻撃をかけてはならない。
昼間の風は持続するが、夜の風はすぐに止む。このことにも十分な留意が望まれる。
戦争を行なうには、火攻めの方法を把握したうえで、以上の条件に応じてそれを活用することが大切である。
【仕事・職場で】
臨機応変と、いきあたりばったりは、全く違う。
何の知識も経験も準備がなく、起きた現象に対してその場しのぎで対応することを、いきあたりばったりと言い、その行動は積み重ねることも蓄積することもできない。
それに対して臨機応変とは、起きる現象に応じて、適切な対応を選択して実行することの連続である。このためには、物事の性質をあらかじめ知り、それに応じた対処法を複数身に付けている必要がある。選択肢が無ければ、臨機応変とはならず、通り一辺倒になる。
例えば、ワード、エクセル、パワーポイント、アクセスがあるが、それぞれの長所・短所をあらかじめ知っておくことで、作業をするにあたり、どのアプリケーションを使うことが最適かを判断できる。
文字列操作ならワードが最適である。表計算や集計・分析をさせるのであればエクセルが優秀である。その双方を複合して表現したければ、ワードの基本文書として、ワード文中にエクセル表を埋め込むことができる。
データの管理にはアクセスが最適であるが、使いたい形を作るまでが一苦労であるから、簡便なデータ管理であればエクセルで十分である。また、エクセルで作成したデータベースは、アクセスに取り込むことも可能である。
プレゼンテーションには視覚に訴える表現力が豊かなパワーポイントが最適である。
巷ではエクセルが優秀という話をよく聞く。確かに優秀なアプリケーションであり、エクセル以外のアプリケーションに代えて使用することも可能だが、それぞれの特徴を知っておけば、効率的で効果的なアプリケーションの選択、つまり臨機応変な対応ができるのである。
★自分の作業の表面ばかりを見ていては、効率化はできない。その作業の仕組みや規則、特徴や注意点を学習し分析を重ねることで効率化は進むし、イレギュラーが発生したときも臨機応変に対応することができる。
★前例を踏襲しているだけでは、効率化はできない。なぜその作業があるのか、なぜそうしてきたのか、なぜその工程が必要なのかを理解しておくべきである。そうすることで、行動の選択肢が増え、また、無駄な工程を見分けることができる。大切な物事は保持し、変えるべきは変える、臨機応変な対応をすることで、効率化は進む。
★論議も作業も、出たとこ勝負では勝てない。日頃から学び、情報収集をし、いつ事が起こっても良いように備えることによって、臨機応変な対応ができる。学習や情報収集を怠っていると、事が起こったときの選択肢が狭いので、臨機応変に動きたくとも動けないからである。
3 火攻めと水攻め
故に火を以って攻を佐くる者は明なり。水を以って攻を佐くる者は強なり。水は以って絶つべく、以って奪うべからず。
火攻めは、水攻めとともに、きわめて有効な攻撃手段である。だが、水攻めは、火攻めとちがって、敵の補給を絶つだけにとどまり、敵がすでにたくわえている物資に損害を与えるまでには至らない。
【仕事・職場で】
目的に応じて使い分けなければならない。
多用途の便利な物事はあるが、最適な物事が別にあるのであれば、そちらを選択するべきである。使い分けるためには、物事の性質を事前に知っておく必要がある。逆に言えば、物事の性質を知っておけば、情況に応じて最適な方法を選択することができる。知る努力を怠ってはならない。
★忙しさに負けて、時間が無いとなげいてばかりでは、何も改善できない。時間は努力で作ることができる。作った時間で知識を増やす。知識が増えれば選択の幅が広がる。最適な選択をしていけば、さらに時間を作ることができる。あとは知識の蓄積と時間の創出の良い循環となり、新たな挑戦をすることができるようになる。
★結果は努力の賜物ではないことを覚えておこう。結果に到達する時間と労力を少なくするために必要なのは努力ではない。たとえば、パソコンに「あ」と千文字入力することは努力でできる。しかし、その努力を「コピー&ペースト」という技術を憶えることに費やしたらどうだろうか。「あ」千文字を手で入力するより、短時間で作業を終えることができる。努力は大切で素晴らしいものだが、使う方向を適切にすれば、より良い結果へとつながるという事である。
★ここに書いてあることを、そのまま使っても便利かもしれない。しかし、ここに書いてあること暗記するのではなく、意味や流れ、要点をつかんでおけば、情況に応じて対処することができるようになる。知ることは暗記することではなく、理解することである。
4 利に合して動き、利に合せずして止む
それ戦勝攻取してその功を修めざるは凶なり。命づけて費留と曰う。故に曰く、明主はこれを慮り、良将はこれを修む。利にあらざれば動かず、得るにあらざれば用いず、危うきにあらざれば戦わず。主は怒りを以って師を興すべからず、将は慍りを以って戦いを致すべからず。利に合して動き、利に合せずして止む。怒りは以って復た喜ぶべく、慍りは以って復た悦ぶべきも、亡国は以って復た存すべからず、死者は以って復た生くべからず。故に明主はこれを慎み、良将はこれを警む。これ国を安んじ軍を全うするの道なり。
敵を攻め破り、敵城を奪取しても、戦争目的を達成できなければ、結果は失敗である。これを「費留」―――骨折り損のくたびれ儲けという。
それ故、名君名将はつねに慎重な態度で戦争目的の達成につとめる。かれらは、有利な情況、必勝の態勢でなければ、作戦行動を起こさず、万やむをえざる場合でなければ、軍事行動に乗り出さない。
およそ王たる者、将たる者は怒りにまかせて軍事行動を起こしてはならぬ。情況が有利であれば行動を起こし、不利とみたら中止すべきである。怒りは、時がたてば喜びにも変わるだろう。だが、国は亡んでしまえばそれでおしまいであり、人は死んでしまえば二度と生きかえらないのだ。
それ故、名君名将はいやがうえにも慎重な態度で戦争に臨む。そうあってこそ、国の安全が保障され、軍の威力が発揮されるのである。
【仕事・職場で】
負の感情をコントロールできなければ、物事は上手く進められないし、悪くすれば人間関係に亀裂を生じたり、または自分の心身に不調をきたすことになる。負の感情のうち怒りは、前後、利害を無視して判断し、行動してしまうことになる。何事もまず、冷静であらねばならない。ここまでは、誰もが解っていることである。
しかし、聞き捨てならない言葉をあびせられ、頭に血が上ってしまうのも人間である。そんな時は、十秒こらえてみてほしい。怒り心頭での十秒は、とても長い時間に感じる。実際には数秒しか経過していなかもしれないが、そのワンクッションをこらえることで、怒りの衝動は大分収まるものである。
怒りの衝動を乗り越えたら、その場で争うべきか、時と場所を譲るべきかを判断できるであろう。怒りの感情を制動できるのは、大人であり、クレバーだからである。
なお、怒りに任せて反論した場合、その声量や語気、言葉選びによっては、ハラスメントと受け取られる可能性がある。侮辱を受けたのに、ハラスメント扱いされたのではたまったものではない。あくまでも、冷静に徹することを願う。
★怒りを引き起こす要因の一つには、自尊心、つまりプライドに対する侮辱がある。しかし敢えて言う。プライドは捨てるべし。ポリシーは堅持すべし。
プライドが様々に邪魔をする。上下関係の縛り、年下・後輩からの学びの阻害、実利より人目、侮辱感、差別など、挙げればキリがないほど、多岐にわたってプライドが邪魔をする。これを捨てるだけで、自分の自由度が格段に高まるのは間違いない。
生き方を譲ってはいけないが、生き方がどう見られるかは相手の主観による。人目よりも実利を得るべきである。
★プライドとともに捨てるべきは、承認欲求である。他人に認められることで自分が満たされるという自然な欲求であり、それ自体は決して悪いものではない。しかし、承認欲求の故に、認めてもらえないときの不満はストレスになる。
また、行動基準が外部で設定されることになるので、時限的で有限である。承認欲求を捨てるということは、外部に基準や目標を設定してもらえないので、行動基準も目標も自分で設定しなければならい。
これらを自分で設定するにあたっては、下限も無いし上限も無いので、堕落もできるし、果てしなく向上することもできる。向上心があるならば、設定した目標を達成した途端、次の目標を設定する。自分が自分の管理監督者になるので、上司がいなくてもサボったり手を抜くことができない。正直、心身が疲れるほど一所懸命に働くことになるが、やり甲斐を感じることができ、快い爽快感さえ感じることができる。
★大事の前の小事、大儀の前の小事、という言葉がある。人生で何を成し遂げたいのか。人生を賭して何を守っていきたいのか。愛する人を守るために生きる、自分を高め続ける旅路を生きるなど、ポリシーは捨ててはならない。だからこそ、その大事・大儀の前では、小事であるプライドや承認欲求など取るに足らないのである。
拾参、用間篇
1 敵の情を知らざる者は不仁の至りなり
孫子曰く、およそ師を興すこと十万、出征すること千里なれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費し、内外騒動し、道路に怠り、事を操り得ざる者七十万家。相守ること数年、以って一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将にあらざるなり。主の佐にあらざるなり。勝の主にあらざるなり。故に明君賢将の動きて人に勝ち、成功、衆に出づる所以のものは、先知なり。先知は、鬼神に取るべからず。事に象どるべからず、度に験すべからず。必ず人に取りて敵の情を知る者なり。
十万もの大軍を動員して千里のかなたまで遠征すれば、政府ならびに国民は、一日に千金もの戦費を負担しなければならない。こうなると、国中があげて戦争に巻きこまれる。人民は牛馬のように戦争にかり出され、耕作を放棄せざるをえなくなる農家が七十万戸にも達することであろう。
こうして戦争は数年も続く。しかも、最後の勝利はたった一日で決するのである。それなのに、爵禄や金銭を出し惜しんで、敵側の情報収集を怠るのは、バカげた話だ。これでは、将帥として資格がないし、君主の補佐役もつとまらない。また、勝利を収めることもかなうまい。
明君賢将が、戦えば必ず敵を破ってはなばなしい成功を収めるのは、相手に先んじて敵情をさぐり出すからである。しかもかれらは、神に祈ったり、経験にたよったり、星を占ったりして敵情をさぐり出すわけではない。あくまでも人間を使ってさぐり出すのである。
【仕事・職場で】
情報を制する者が勝つ。早く、広く、正確に、客観的事実として、必要な情報を収集することができれば、争う前から勝敗は決している。作業をする前からゴールは見える。
この情報とは、相手の情報に加え、自分の情報はもちろん、一見無関係と思える事象でも日頃から広く知見しておくことである。人は、自分が認知できる範囲でしかものを見聞しないものである。井の中の蛙大海を知らずという言葉は誰でも知っているが、自分がその蛙であると認識できている人は少ない。家庭と職場、趣味の世界が普段触れる社会。これで新しい発想や発見がどれだけできるだろうか。
当たり前ではあるが、人には限界がある。ひとときで吸収できる情報の量やスピードには限界がある。だから、普段から情報収集を心がけて実践することが大切になる。
★作業期間外、論争時以外の常日頃から、よく情報収集に努め、観察し、分析し、消化しておくことが大切である。事が起こってから情報収集に走っても、遅いのである。相手はすでに、情報収集済みである。
★人は置かれた環境、育ってきた環境で形成された認知範囲でものを知見する。経験したことがない世界の事象について、どうやってアクセスすれば良いのか、その方法すら分からないし、その対象を思い浮かべることもできないからである。だからこそ、それを踏まえれば、広く広く知見を広げる努力をすることで、やっと認知範囲のカセの外へ一歩だけ踏み出せるのである。
★権力を持たない人間にとって、情報弱者であることは敗北を意味する。日頃から広く見聞し、過去の歴史から学び、忌み嫌うものからすら吸収すべきである。すべてが教師となり、反面教師となるから、学びの対象とならないものは無い。変えられない過去と今から学び、変えられる未来と自分をひらくべきである。
2 五種類の間者
故に間を用うるに五あり。郷間あり、内間あり、反間あり、死間あり、生間あり。五間倶に起こりて、その道を知ることなし。これを神紀と謂う。人君の宝なり。郷間とは、その郷人に因りてこれを用うるなり。内間とは、その官人に因りてこれを用うるなり。反間とは、その敵の間に因りてこれを用うるなり。死間とは、誑事を外になし、吾が間をしてこれを知らしめて、敵に伝うるの間なり。生間とは、反り報ずるなり。
敵の情報をさぐり出すのは間者の働きによるが、間者には五種類の間者がある。すなわち、郷間、内間、反間、死間、生間である。
これらの間者を、敵に気づかれないように使いこなすのは最高の技術であって、君主たる者の宝とすべきことだ。
さて、次に五種類の間者について説明しよう。
郷間―――敵国の領民を使って情報を集める。
内間―――敵国の役人を買収して情報を集める。
反間―――敵の間者を手なずけて逆用する。
死間―――死を覚悟のうえで敵国に潜入し、ニセの情報を流す。
生間―――敵国から生還して情報をもたらす。
【仕事・職場で】
間者とはスパイであり、諜報員である。情報を持ち帰ること、情報を流すこと、つまり情報操作の実践をする者である。
自分を守るために、自分自身が参謀となり、同時に間者となって情報操作をすることができれば、争う前から勝敗を決することができるし、そもそも争う必要を無くすことも可能となる。
情報収集については、日頃からの観察、洞察、分析、人脈を活かすことなどを積み重ねておくことが肝要である。事が起こってからではなく、何事もないときから情報のアンテナを張っておくことが大切なのである。
情報を流すことについては、周りや相手に捉えてほしい情報を、いかに自然な形で、必要な範囲内で伝達できるかということになる。言葉・印象、直接・間接、アナログ・デジタルと、様々な方法を駆使することになる。ただし、情報伝達の方法を選択する上での前提として、伝えたい相手の志向・性格などを分析していなければならない。英語しか理解できない人に日本語で伝えようとしても伝わらないということである。
★情報を流したい相手が、流れてきた情報をそのまま受け取るのか、裏を読んでくるのか、裏の裏を読んでくるのかを、こちらは予想して情報を流さなくてはならない。こちらの意図するように情報を捉えてもらうというのは非常に難しいが、成功したときの効果は大きい。
★自分に対する敵対心が大きければ大きいほど、その相手に直接情報を伝えても受け容れられない。そのような場合は、敵対心の大きさに比例するように間に他人を介在させる形で情報が伝わるようにする。可能であれば、その相手に情報を伝える人は、その相手の取り巻きや仲良しであれば最善である。
★文書やネットなど、情報を流したい相手が目にするであろうツールを利用する。その相手が敵対しているのならば、敵対者がわざわざ見に来るときはこちらの情報を欲している…という前提で記載する必要がある。その相手が表と裏のどちらを読むのかを考えて文書作成をする。注意しなければならないのは、話すことと違い残ったり拡散するものなので、多くの人が個を特定できてしまうような書き方をしてはならない。場合によっては名誉棄損での訴訟にもなりかねないので、お勧めはできない方法ではある。それを承知でこの方法を使うのならば、その相手にのみ伝わるよう記述すること。
3 事は間より密なるはなし
故に三軍の事、間より親しきはなく、賞は間より厚きはなく、事は間より密なるはなし。聖智にあらざれば間を用うること能わず。仁義にあらざれば間を使うこと能わず。微妙にあらざれば間の実を得ること能わず。微なるかな微なるかな。間を用いざる所なし。間事いまだ発せずして先ず聞こゆれば、間と告ぐる者とは、皆死す。
間者には、全軍のなかで最も信頼のおける人物をえらび、最高の待遇を与えなければならない。しかもその活動は極秘にしておく必要がある。
間者を使う側は、すぐれた知恵と人格をそなえた人物でなければ、十分に使いこなせない。くわえるに、きめこまかな配慮があって、はじめて実効をあげることができるのである。なんと微妙なことよ。いついかなる場合でも、間者のはたらきを無視することは許されないのだ。
間者が極秘事項を外にもらした場合は、もらした間者はもちろん、情報の提供を受けた者も殺してしまわなければならない。
【仕事・職場で】
ここから読みとれる情報操作の条件は、最低でも次の通りとなる。
情報を自分が思う通りに伝えてくれるであろう人物に限定して、流したい情報を伝えること。
自分の言葉を信用して受け取ってくれるか、信用してくれない人ならその人が自分の言葉をどう受け取りどう伝えるかを読めること。
いったん伝えてしまった情報については、もうどの口を閉ざすこともできないので、細心の注意を払って伝える人を選び、伝えるツールを選び、伝える言葉を選ぶこと。
★流した情報について分析されたり相談しあったりされると厄介なので、必要最低限の人にのみ情報を流すことが基本となる。
しかし、外堀を埋めるように敵対する相手に影響させる目的で、多くの人に情報を流したほうが効果的な場合もある。ただし、個を特定できてしまうような情報の流し方をしてはいけない。そうなれば、自分は陰口・悪口を言っている人間と思われマイナスになるし、場合によっては名誉棄損での訴訟にもなりかねない。
★これから情報を伝える相手が、自分の言葉をどう捉えるのか、言葉通りに捉えるのか裏を読んでくるのか、それが分析できていないと情報操作などできない。
★「人の口に戸は立てられぬ」ということわざの通りである。真に信用ができる人以外に、自分の本心や策についてなどを話してはならない。誰かに話してしまったことは、広まってしまうだろうし、止めることはもちろん修正することもかなわないと思っておくべきである。
4 反間は厚くせざるべからず
およそ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必ず先ずその守将、左右、謁者、門者、舎人の姓名を知り、吾が間をして必ずこれを索知せしむ。必ず敵人の間の来たりて我を間する者を索め、因りてこれを利し、導きてこれを舎す。故に反間、得て用うべきなり。これに因りてこれを知る。故に郷間、内間、得て使うべきなり。これに因りてこれを知る。故に死間、誑事をなして敵に告げしむべし。これに因りてこれを知る。故に生間、期の如くならしむべし。五間の事、主必ずこれを知る。これを知るは必ず反間に在り。故に反間は厚くせざるべからざるなり。
敵軍に攻撃をかけようとするとき、あるいは敵城を奪取しようとするとき、または敵兵を撃滅しようとするときには、まず敵の守備隊の指揮官、側近、取次ぎ、門番、従者などの姓名を調べ、間者に命じてその動静を探索させなければならない。
敵の間者が潜入してきたら、これをさがし出して買収し、逆に「反間」として敵地に送りこむ。この「反間」のはたらきによって、敵の住民や役人をだきこみ、「郷間」「内間」とする。そのうえで「死間」を送りこんでニセの情報を流す。こうなれば、「生間」も計画どおり任務を達成することができる。
君主は、この五種類の間者の使い方を十分に心得ておかなければならない。これらのうち最も重要なのが「反間」であるから、その待遇はとくに厚くしなければならない。
【仕事・職場で】
敵対する相手に情報を流したい場合は、その相手に直接情報を伝えても受け容れられない。そのような場合は、他人を介在してから最終的に敵対する相手へ情報が伝わるようにしたい。可能であれば、最後にその相手へ情報を伝える人間が、その相手の取り巻きや仲良しであれば最善である。
敵対する相手が取り巻きや仲良しを自分のもとへ寄越して探りを入れてくることはよくある。その時は、慎重に言葉を選んで対応する必要があるが、伝えた情報は敵対する相手が信用して受け取ってくれるのだから、チャンスでもある。こちらの対応次第で二重スパイに仕立て上げることが可能なのである。
その前提として、日頃から観察、洞察、分析、人脈を活かすことを積み重ねておかなければならない。それがあって初めて、敵対する相手が寄越した人間を使った情報操作が可能となるのである。
★敵対勢力が自分に探りを入れてきたときは不快ではあるがチャンスでもある。自分の思う通りに情報が伝わるよう、探りを入れてきた人物を逆に利用しよう。
★係争中や敵対中であることが動かせない状況であるならば、どのような情報が相手に伝わると自分が不利になり、どのような情報が相手に伝わると自分が有利になるかは予め整理しておこう。
★言葉だけではなく、語気や表情、しぐさなども、伝える情報として有用である。言葉は強きでも表情が怯え切っていれば、敵対する相手が寄越した人間は、こちらが「怯えている」と伝えるだろう。実際には怯えておらず、表情で怯えていると思わせることができたならば、論争が始まった時に相手の虚を衝ける。情報操作は目的ではなく、事が起こってしまう場合に備えた手段である。
5 上智をもって間となす
昔、殷の興るや、伊摯、夏に在り。周の興るや、呂牙、殷に在り。故にただ明君賢将のみよく上智を以って間となす者にして、必ず大功をなす。これ兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり。
むかし、殷王朝が夏王朝を滅ぼして天下を統一したとき、夏の事情に通じている伊尹を宰相に登用して功業を成しとげた。また、周王朝が殷王朝を滅ぼして天下を手中におさめたときにも、殷の事情にくわしい呂尚を宰相に起用して功業を成しとげている。
このように明君賢将のみがすぐれた知謀の持主を間者に起用して大きな成功を収めるのである。これこそ用兵の要であり、全軍の拠り所なのだ。
【仕事・職場で】
情報を制する者が勝敗を制する…とは言っても、こちらの情報収集が終わるまで相手が待っていてくれるわけではない。会社や部署に着任した途端に嫌がらせを受けるかもしれない。そうなれば、情報収集などできるはずもない。
手っ取り早く、かつ確実なのは、相手についてよく知っている人物を味方につけ、仲間にしてしまうことである。その人物は、時間と経験を積んで、相手を知り、その人物の主観ではあるが分析済みの情報を持っているからである。
時間の経過を伴わないと得られないものを凝縮して受け取れるのだから、値千金ということなのである。
★新しく着任した時は特に、信頼のおける人格者を探し出し、味方につけると良い。ただし、単に影響力ばかりを発している人間をもって「長い物には巻かれよ」で選んではならない。そういう人間の側に付けば、自分は常に「害を与える側」に居続けざるを得なくなる。残念なことだが、大人の社会でも、子供のような陰湿なイジメの世界が変わらずに存在するのである。
★孤軍奮闘は最後の手段として、可能な限り避けなければならない。孤立無援というのは心身ともに綱渡りで過ごさなくてはならなくなるからである。だからまずは、信頼できる人格者が味方になってもらえるような人間関係の構築を目指そう。
その前提として、自分自身も信頼されるような人格者を目指して、日々努力と研鑽を積まねばならない。完成された人間などいないし、人格形成が一日で成るわけではないが、だからこそ、日進月歩の努力が必要である。
また、悪人を仲間に引き入れる善人はいない。善人との関係を構築したければ、同じフィールドに立っていなければ認めてもらえるはずがない。
★どうしても内部に信頼できる人を見い出せなければ、外部に求めるべきである。会社や部署の枠を自分でカセとしてはめることはない。敵対する相手の固有の情報は知らなくても、同じタイプの人間についてや、そういう人間への対処方法についてアドバイスを受ければ良いのである。ただし、守秘義務は厳守しなければならない。
コメント